頭を使わんことには、この町では生き残れんぞ

時は再び遡り、27年前の江戸。伊勢から出てきた13歳の河村屋七兵衛(のちの河村瑞賢)がいた。



 明暦の大火をさかのぼること二十七年前の寛永七年(一六三〇)八月、着替えの入ったしき一つを抱えた七兵衛は、口入屋五郎八と共にがきかいせんに乗って江戸に着いた。
 この時代、江戸港には大小取り混ぜ一千にも及ぶ船が日々、行き来していた。
 あまりの船の多さに唖然としていた七兵衛だが、港が近づくに従い、陸岸には白壁や海鼠なまこかべの蔵が、どこまでも軒を連ね、無数とも言える人々が立ち働いているのに気づいた。
 —本当に江戸は人の国だな。
かすみがかかったようにおぼろげな遠方まで、物資を陸揚げできる河岸があるらしく、さかんに船が行き交っている。
 江戸で一旗揚げようとして出てきたものの、これだけの人間が懸命に立ち働いているのを見れば、それが、いかに難しいかは歴然である。
 —これでは、頭角を現すどころではない。
 さすがの七兵衛も、気持ちが萎えかかっていた。
 江戸港は、大川上流から流れ込んだ土砂がたいせきしているため遠浅となっており、七兵衛たちの乗っている菱垣廻船では河岸に着けられない。そのため沖合で、ひらぞこぶねてんせんといった渡し船に乗り換えねばならない。
 五郎八と七兵衛の乗り組んだ渡し船は、霊岸島の将監河しようげんがに着けられた。
 岸に上がるや五郎八は「商用で人に会ってから店に帰る」と言い、七兵衛を一人で浅草まで行かせようとした。不安になった七兵衛が「一緒に行きたい」と言うと、五郎八は苛立ったように、「ぼん、今日からは、わいの言うことは何でも聞いてもらいます」と言い残し、雑踏の中に消えた。
 七兵衛は人に道を聞きつつ、何とか五郎八の店にたどり着いた。
「口入屋五郎八」と書かれたれんをくぐり、番頭らしき人に事情を話すと、上がりがまちに腰掛けて待っていろと告げられた。
 日が暮れて腹も減ってきたが、「店の者に逆らってはいけない」と父から教えられていたので、そのまま一刻(約二時間)ばかりじっとしていた。むろんお茶など出されず、誰からも声をかけられない。
 店には、入れ代わり立ち代わり人の出入りがあるが、七兵衛に気を留める者はいない。人足風の姿をした者たちは、店の奥にある土間に入り、立ったまま食事を取ったり、茶を飲んだりしている。
 少しでも仕事の内容を覚えようと、出入りする人々の会話に聞き耳を立てていると、ようやく五郎八が帰ってきた。
 五郎八はしたたかに酔っているらしく、草履を放るように脱ぐと、足元をふらつかせながら奥に向かおうとした。
 たまたま番頭が帳場から離れている時だったので、誰も七兵衛の存在を五郎八に告げてくれない。
 このまま明日の朝まで待たされてはたまらないと思った七兵衛は、立ち上がると声をかけた。
「五郎八殿」
 呼び止められた五郎八が、不思議そうな顔で問う。
「ああ、ぼんかい。ここで何してた」
「番頭さんに『ここで待っていろ』と言われたので座っていました」
「どれくらい座っていた」
「一刻ほどです」
「馬鹿野郎!」

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江戸を造った男

伊東潤
朝日新聞出版
2016-09-07

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伊東潤

江戸の都市計画・日本大改造の総指揮者、その名は河村瑞賢! 伊勢の貧農に生まれた河村屋七兵衛(のちの瑞賢)は、苦労の末に材木屋を営むようになり、明暦の大火の折に材木を買い占めて莫大な利益を得る。 その知恵と並はずれた胆力を買われ...もっと読む

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