「江戸から参られたと仰せか」
座に着くや、珍しい生き物でも見るように山村三郎九郎が問うてきた。
三十代半ばとおぼしき三郎九郎は、こうした鄙の地には珍しく、さっぱりとした上方風の顔をしている。
「はい。わいは江戸で材木の仲買をやっております河村屋七兵衛と申します。これまでは、木曾の檜を尾張や三河の仲買人を通じて買っていましたが、それだけでは足らず、直に買い付けに参りました」
「それはご苦労だったな。それでは、あの桟を渡られたのか」
「はい。何ほどのこともありませんでした」
七兵衛は嘘を言った。
「それは豪気なお方だ。あの桟は冬場に行き来する者がいないため、長らく付け替えておらなんだ。来年の秋には、付け替えようと思っていたところだ」
三郎九郎はそう言って笑ったが、あの時のことを思い出した七兵衛は、生きた心地がしなかった。
「商人は、その程度のことではへこたれません。此度は早急に木材の手配をせねばならず、こちらに駆け付けてきた次第」
「ということは、江戸で大名家か大寺の大きな作事があるのだな」
「ええ、まあ、そんなところです」
七兵衛が複雑な笑みを浮かべたが、三郎九郎は意に介していない。
——大火のことは、まだ伝わっておらぬようだな。
七兵衛はほっとした。
「それで、どれほど要る」
——来た。
ここで大きく出ないことには、命を懸けて来た甲斐がない。
「ご都合がつくすべての木をお引き取りいたします」
「えっ」
三郎九郎は唖然とした後、笑い声を上げた。
「戯れ言もほどほどになされよ。木曾全山の木を引き取りたいと申すか」
「はい」
七兵衛は真剣である。
「檜、椹、鼠子、翌檜、高野槇だけでなく、栗、松、唐松、欅、栃、桂など、すべて買い上げるつもりで参りました」
「しかし——」
三郎九郎は困った顔をした後、諭すように言った。
「それが、どれほどの額になるか知っておるのか」
「存じませぬが、相当な額でしょうな」
さっさとこの話を打ちきりたいかのように、三郎九郎が問う。
「手付金は、いかほどお持ちか」
懐から紫色の帛紗を取り出した七兵衛は、十枚の慶長小判を並べた。
それを冷めた目で見ていた三郎九郎は、首を左右に振ると言った。
「それだけでは、手付金にならぬ」
その時、童子たちが騒がしい声を上げながら居間に駆け込んできた。それぞれの手には、先ほど与えた銭の玩具がある。
「これこれ」
その後から傅役らしき老人が続く。
「見ての通り、子沢山でな。騒がしいこと、この上ない」
「いえいえ、うちもそうなので慣れております」
ついそう言ってしまったが、七兵衛の子はもう二人しかいない。それを思い出すと、悲しみが込み上げてくる。
——兵之助、どうかおとはんを助けてくれ。
傅役に追いかけられていた童子の一人が、三郎九郎の膝の上に座った。
「これは何だ」
三郎九郎が、童子の持つ玩具を取り上げた。
「銭のようで」
傅役が答える。
「寛永通寳だな。これをどうした」
「そちらの方が——」
傅役が七兵衛を指差す。
「貴殿が、子らにくれてやったというのか」
「はい。門前でお子様の一人とぶつかってしまい、泣かれたのでつい——」
「江戸の商人というのは豪気なものだな」
「ええ、まあ——」
三郎九郎は感心したかのように首を左右に振ると、玩具を子に返した。傅役に追われた童子たちは、瞬く間にどこかに逃げていった。
しばし何か考えた後、三郎九郎が問うてきた。
「それでは問うが、木曾全山の木を、いくらなら買う」
「仰せのままに」
「何だと」
三郎九郎の顔色が変わる。
「木曾の木を一本残らず、こちらの言い値で買うというのか」
「はい」
ここが商いの勝負どころである。
「戯れ言はよしてくれ」
「戯れ言ではありません」
七兵衛の声音が強まる。
「この世のどこに、卸元の言い値で買う商人がいる」
「ご尤も」
「では、どういうことだ」
「商人たるもの、利を出さねば商いをする意味はありません。しかしながら、産地と仲買人は持ちつ持たれつ。山村様も、暴利をむさぼるつもりはないはず」
「そうだ」
「山村様を男と見込んで、言い値で買うと申しました」
七兵衛が平伏する。二人の間に沈黙が漂う。