今日が生涯の切所だ

大火後に材木が不足し需要が高まるだろうと考えた七兵衛(瑞賢)は木曽に訪れていた。
本日より、ファンドマネージャー・藤野英人さんとの『江戸を造った男』特別対談を掲載中!



 全身に雪をかぶった男、すなわち河村屋七兵衛が現れた時、農家の老人は、あとずさるほど驚いた。
 体中の雪を払って事情を説明し、宿と食事を頼むと、老人は初め難色を示した。しかし礼を貨幣で支払うと言ったところ、喜んで招き入れてくれた。こうしたひなの地まで貨幣は流通しきっていないので、その価値は絶大である。
 ここに着くまでも、七兵衛は同じようにして泊まりを重ねてきたが、どこも貨幣を出すと言うと、喜んでくれた。
 —つまり物々交換できないものの需要は、こうした地にもあるのだ。
 この時代、あらゆるものが、物々交換で手に入れられたわけではない。かんざしなどの工芸品や上質な着物などは、貨幣でないと入手できない。そうした物を携えて行商人はやってくるが、貨幣がなければ売ってはくれない。
 —こうした矛盾を解消すれば、銭は国中をし、皆が豊かになる。
 七兵衛は、経済というものを体験から学んだ。
 着替えて一息ついていると、五平餅と熱い煎茶が出された。七兵衛は胃の腑を温かくすることができ、ようやく人心地ついた。
 翌朝、寒気は厳しいものの、何日かぶりで日が差し、駒ケ岳をはじめとした木曾のさんれいを輝かせていた。
 その荘厳な風景を眺めつつ、七兵衛は今日が生涯のせつしよだと感じた。
 葛籠から取り出した加賀染めの小袖に着替え終わると、農家の主人と女房が朝食を運んできた。二人とも七兵衛の姿を見てぼうぜんとしている。
「どうした」
「いや、あまりに立派なお姿で—」
「ああ、これか。商いというのは姿形も大切だからな」
ひえめしに汁と煮干しだけの簡素な朝飯だったが、とても美味である。
「世話になった」
 朝食を食べ終わった七兵衛は、礼金を置くと農家を後にした。存分に心付けをしたので、二人は神仏でも拝むように、七兵衛の後ろ姿に頭を下げていた。
 やがて大きな瓦葺かわらぶきの屋根が見えてきた。
 —これが山村屋敷か。
 戦国期、山村氏は木曾氏の重臣として活躍し、天正十八年(一五九〇)、木曾氏が転封となった際、一族はそれに従った者と、そのまま木曾谷にとどまった者に分かれた。
 木曾谷にとどまった山村氏は、この時代、尾張徳川家の家臣として福島に本拠を構え、木曾谷の代官を務めていた。しかし福島は武家としての本拠であり、木材の伐採から販売は、木曾氏が支配していた頃と同じく、上松を窓口としていた。
 この時の山村家当主は、山村甚兵衛たかとよだが、代官として主に福島にいるため、上松で売買を取り仕切っているのは末弟の三郎九郎たかことである。
 幅十五間(約二十七メートル)はある長屋門の前まで来ると、七兵衛は大きく息を吸った。商家なので、とくに番士などいない。そのまま中に入り、表口から案内を請えばよいだけである。
 七兵衛が山村家の屋敷にいざ入ろうとした時、門内から四人ほどのどうが飛び出してきた。
「あっ」と思う間もなく、童子の一人が七兵衛にぶつかり、その場に転倒した。言うまでもなく次に聞こえるのは、童子のけたたましい泣き声である。
 さいさきが悪いな。

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江戸を造った男

伊東潤
朝日新聞出版
2016-09-07

コルク

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伊東潤

江戸の都市計画・日本大改造の総指揮者、その名は河村瑞賢! 伊勢の貧農に生まれた河村屋七兵衛(のちの瑞賢)は、苦労の末に材木屋を営むようになり、明暦の大火の折に材木を買い占めて莫大な利益を得る。 その知恵と並はずれた胆力を買われ...もっと読む

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