おとはんは必ずやったる!

江戸の町は焼け野原となり、大勢の人が犠牲となった。七兵衛も息子・兵之助を亡くす。
財産も仲間も家族も失った男は再出発を誓う。
「——今、皆が最も必要としているものは何か。」
ここから七兵衛は商人としての才能を発揮していく。
本日より、ファンドマネージャー・藤野英人さんとの『江戸を造った男』特別対談を掲載中!


 二十日の昼過ぎ、ようやく菱屋の船が霊岸島に戻った。妻子を菱屋に託した七兵衛は、声を嗄らして兵之助を捜した。
 霊岸島には、同じように肉親を捜す人々がさまよっていた。親が子を、夫が妻を捜し歩く声が、そこかしこから聞こえてくる。
 七兵衛も声を限りに兵之助の名を呼んだが、聞こえてくるのは、誰かが誰かを捜す声だけである。
 すべてが焼き尽くされ、はいきよとなった霊岸島には、焼けただれた遺骸が放置されており、それをからすの群れがついばみにやってきていた。その中には小さな遺骸も多くあり、そこにいた子供のほとんどが焼け死んだことを物語っていた。
 兵之助と年格好の近い遺骸を見つけると、七兵衛は懸命に顔を見たが、遺骸の大半は全身が炭化しており、識別などできるものではない。
 兵之助が生きていることは、もはや万に一つも考えられなかった。
 絶望感に打ちひしがれつつ、七兵衛は焼け野原となった一帯を幽鬼のようにさまよった。擦れ違う人々がいても、互いに視線を合わせるでも声をかけるでもない。ただ懸命に、それぞれの肉親を捜すだけである。
 知らぬ間に七兵衛は、かつて自宅のあった場所に来ていた。
 —兵之助、どこにいるんだ。
 その答えを七兵衛は知っていた。炎は霊岸島を覆い、あらゆるものを焼き尽くした。たとえ炎から逃れられたとしても、六歳の子供が海に入れば、溺れ死ぬだけである。
 決してあきらめまいと思いつつも、込み上げてくるのは絶望だけである。
 —もう、何もかも嫌になった。
 炎は兵之助の命を奪っただけでなく、七兵衛が積み上げてきたものすべてを奪った。
 ぼんやりと足元を見ていると、兵之助が使っていた飯茶椀の燃えさしが目に入った。それを手に取り、七兵衛はじっと見つめた。
 —ほんの二日前だったな。
 あの日の昼、この場所に座り、このわんで、兵之助は懸命に飯を食っていた。目前に死が迫っているとは知らず、ただひたすら自らの空腹を満たしていた。
 七兵衛はその燃えさしを懐紙で包み、懐に入れると、立ち上がった。
 —また、一から出直しか。
 出直すとなると、まずは元手である。
 —そうだ。
 こうした時のために、家の下に埋めていた資金のことを思い出した。それは、ちょうど兵之助の椀の燃えさしが落ちていた辺りにあるはずだ。
 手近にある残材を使って土を掘り返すと、すぐにつぼが出てきた。
 —きっと、兵之助が教えてくれたんだな。
 壺の蓋を開けると、十枚の慶長  けいちよう小判と、ひもで結ばれた寛永つうほう五十枚余が入っていた。
 —十両と少しか。これなら何とかなる。
 しかし出直すとしても、これで何をするかである。一家四人の衣食住に使ってしまえば、こんなものは半年も持たない。
 —今、皆が最も必要としているものは何か。
 むろん、それは水と食料である。しかし米や野菜を農家から買い入れるにしても、西さし相模さがみの農家は、足元を見て高く売り付けてくるはずだ。しかも運搬するにも労力がかかり、利益を出すのは難しい。
 —江戸が火の海になったことを、まだ知らない地で産するものを買い付ければよい。となると、衣類や調度品か。
 しかし買い付けたところで、運搬できなければ利益は生まない。
 —運搬せずに、ないしは、ほかの者に運搬させることで利を生むものは何か。
「あっ」
 七兵衛が膝を叩いた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

江戸を造った男

伊東潤
朝日新聞出版
2016-09-07

コルク

この連載について

初回を読む
江戸を造った男

伊東潤

江戸の都市計画・日本大改造の総指揮者、その名は河村瑞賢! 伊勢の貧農に生まれた河村屋七兵衛(のちの瑞賢)は、苦労の末に材木屋を営むようになり、明暦の大火の折に材木を買い占めて莫大な利益を得る。 その知恵と並はずれた胆力を買われ...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード