もう一度、出直しだ

明暦3年1月18日、本郷で上がった炎は、瞬く間に七兵衛のいる、一里(約四キロメートル)以上も離れた霊岸島(現在の東京都中央区新川)へと移ってきていた。
火の手から逃れるため船を手配した七兵衛であったが、近くの寺に隠れている妻子を探すため再び炎のもとへ向かっていくのであった。

「お脇、どこだ。どこにいる!」
 一心不乱に捜したが、お脇の姿はない。
 —致し方ない。何とか船まで来てくれ。
 このままでは自分と弥兵衛も助からない。七兵衛は、弥兵衛だけでも船に乗せてから取って返そうと思った。しかし人の波は収まることなく、次から次へと押し寄せてくる。
 その時である。
「あんた!」
 背後からお脇の声が聞こえた。
「ああ、お脇、よかった!」
 七兵衛は歓喜したが、お脇の傍らにいるのは伝十郎だけである。
「あんた、兵之助が手を放しちまったんだよ!」
「どうしてだ」
「誰かが間に割って入ったのさ」
 泣き崩れるお脇を、七兵衛が抱きかかえた。その間も人の波に押され、七兵衛たちは、兵之助を見失った辺りから遠ざかっていく。
「どの辺りだ」
「もっと向こうだよ」
「捜したのか」
「もちろんさ。でも、この有様じゃ見つけられないよ」
 お脇が背後を振り返ったが、人が多すぎて何も見えない。
 母とはぐれた兵之助は恐慌状態に陥り、どこかに行ってしまったに違いない。
「分かった。兵之助はわいが捜す。お前らは船へ向かえ」
「船ったって、どの船だい」
 —そうだった。
 お脇は菱屋の権六を知らない。このままお脇と子らを河岸に向かわせても、どの船に乗っていいのかも分からず、河岸で右往左往するだけである。
「致し方ない。兵之助は後で捜そう。ひとまず付いてこい」
「だってあんた、それじゃ兵之助が—」
 お脇は、その場から動こうとしない。
「聞け」
 七兵衛が片手でお脇の肩を掴む。
「それじゃ、ここで一家そろって焼け死ぬっていうのか。兵之助はわいが必ず見つける」
「分かったよ。ああ、ごめんね、兵之助」
えつを漏らしながらも、お脇は付いてきた。
 四人は、人の波に押されながらとよばしまで出ると、そのまま橋を渡った。そこを左に行けば、北新堀河岸である。
 煙をかき分けるようにして走っていくと、菱屋の船が見えてきた。
「菱屋さん!」
「おお、河村屋さん」
 —よかった。間に合った。

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江戸を造った男

伊東潤
朝日新聞出版
2016-09-07

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伊東潤

江戸の都市計画・日本大改造の総指揮者、その名は河村瑞賢! 伊勢の貧農に生まれた河村屋七兵衛(のちの瑞賢)は、苦労の末に材木屋を営むようになり、明暦の大火の折に材木を買い占めて莫大な利益を得る。 その知恵と並はずれた胆力を買われ...もっと読む

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