火事と喧嘩は江戸の華

明暦3(1657)年、河村屋七兵衛(のちの河村瑞賢)は材木屋を営んでいた。
ある日、家族で食卓を囲んでいたところ、本郷のあたりで火事が起こったとの知らせが入った。

「火事とけんは江戸の華」と言われるほど、江戸で火事は日常的に起こっていたが、大火はそうそう多くはない。それでも妻子持ちの七兵衛は、早めに避難することにした。
「おい、飯はそこまでだ」
 七兵衛はお脇と子らを霊巌寺に向かわせると、反対方向の北新堀河岸を目指した。というのも尾張から来るざいせんが、材木の積み下ろしを始めてしまってからでは、霊岸島に火が回った時、たいへんな損害をこうむるからである。
 家を出ると、家財道具を車長持に積み込んで南を目指す人々に出くわした。彼らはしんたかばしを渡り、てつぽう方面に逃れようというのだ。その人の波を逆にかき分け、七兵衛は大川(隅田川)が江戸湾に注ぐ河口付近を目指した。
 北新堀河岸のある新堀川沿いまで出ると、様々なものの積み込みが行われていた。商人たちが家財や商材を船に載せて、一時的に沖に避難しようというのである。
 —こいつは、荷を下ろすどころではないな。
 ここまで来て初めて、七兵衛にも事の重大さが分かった。留吉の話の何倍も火災は大きいのだ。むろん尾張から来る弁才船が、霊岸島に着岸して荷を下ろす心配もない。
 その時になって、北の空に黒煙が上がっているのに気づいた。北西の風に乗り、火事は着実に迫っている。
 —こいつは、まずいことになるかもな。
 誰か知り合いはいないかと探していると、ひしの船があった。菱屋は、七兵衛がよく使うかいせん問屋である。
「菱屋の旦那」
 ちょうどよく菱屋のあるじごんろくが、若い衆を指揮して家財道具を積み込んでいるところに出くわした。
「ああ、河村屋さん」
「たいへんなことになりましたね」
「全く困ったものです。これから人や家財を積んで沖に船出するのですが、河村屋さんも乗りませんか」
「ぜひ、お願いします。ただ妻と子が霊巌寺にいるので、ひとっ走りして連れてきます。それまで待っていただけますか」
「いいですよ。まだ船を出すには間がある。早く行ってやんなさい」
「すいません」

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江戸を造った男

伊東潤
朝日新聞出版
2016-09-07

コルク

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江戸を造った男

伊東潤

江戸の都市計画・日本大改造の総指揮者、その名は河村瑞賢! 伊勢の貧農に生まれた河村屋七兵衛(のちの瑞賢)は、苦労の末に材木屋を営むようになり、明暦の大火の折に材木を買い占めて莫大な利益を得る。 その知恵と並はずれた胆力を買われ...もっと読む

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