イオンの3階にあるフードコートに来た。
毎日のように、ここに来ていたのは、ハガキ職人をしていた、3年前のことだ。
その頃の僕は、いつもこの場所に来ては、ネタを出していた。
あの頃の僕が居た席には、カイブツが座っていた。
僕は、そのカイブツの対面上にある椅子に、腰掛けた。
そのカイブツは、間違いなく、3年前の僕だった。僕の魂の形だった。
唯一、あの頃と違うのは、ハリネズミのように身体中に何かが刺さっていることだった。
カイブツには、僕の姿は、見えていないようだった。
両目にまでそれが刺さっているせいだろうか。
「久しぶりやな。ずっと、ここにおったん?」
僕が、カイブツにそう尋ねると、カイブツはコクリと頷いた。
「そうか」
僕はカバンからノートを取り出して、それをカイブツの前に広げた。
「懐かしいわ。ここ」
フードコートは、3年前と、ほとんど何も変わっていない。
変わってしまったのは、僕だけだった。
しばらくの間、僕らは黙って向かい合っていた。
カイブツはときどき、ビクッと震えるだけで、それ以外はピクリとも動かなかった。
僕はカイブツの目を見ながら口を開いた。
「実は、オレ、もう。お笑い、やめてしまってん」
カイブツは何も言わなかった。
ふざけんな。
すべてを笑いに捧げたんじゃなかったのか?
つんざくような声で怒鳴り散らされるかと思ったのに。
なあ、教えてくれ。
3年前の僕から見て、今の僕は、どう見えてる?
そう聞きたかったけど、こいつは、何も見えていないようだった。
このカイブツは、今まで笑いに生きてきた僕の魂の形だ。
3年前の自分にとって、笑いを辞めるということは、死ぬことと、同意だった。
お笑いを辞めても、平然と生きている、今の僕が、コイツの目の前に座っている。
あの頃、吹き荒れていた砂嵐は凪ぎ、その中心に突き立っていた異形の塔も、硫酸のような涙が、悪臭を放ちながら溶かしてしまった。
今の僕の魂は、どんな形をしているだろう?
「オレ、もう27歳やし、バイトも受からんくなってん」
僕は話を続けた。
「だから、今はアニメの脚本書いて食いつないでるねん。
しょうもない仕事や。それに俺の笑いの能力をひたすらつぎ込んどる。
たまらんやろ。汚れきってるやろ」
それは、まだ世に出るかどうか決まっていない企画段階のアニメの、サンプルの脚本を書く仕事だった。
「箇条書きになったプロデューサーの意向に則って、脚本を書いていくねん」
時には30個以上もある条件を、すべてクリアーした脚本を書くこともあった。かつてのお笑い狂いの姿は、もうそこにはなかった。
「どんなにつまらないセリフも、どんなにつまらないと思った展開も、プロデューサーから入れろと言われたら、入れるねん」
ふざけんな。
ディレクターに媚びて、情報番組をやるのと、一緒やないか!
カイブツが、胸倉を掴んでくるかと思った。
だけど、黙って座っていた。
「結局、大喜利と一緒やねん。
あいつらが提示した条件を、クリアーして、送るねん。それだけや」
僕は、ノートにアニメの脚本を書きながら、カイブツに言った。
「こう見えてもな、オレが書いたアニメの脚本は、すべて会議で通ってるねん。
せやけど、続いて言われる言葉は、毎回同じや」
『ここから先は、ベテランの作家がやることになったんで、また別のサンプル脚本お願いします』
それが続いた。
どこの世界も、同じようなもんなんだなと思った。
でも、そんなことはもうどうでも良かった。
「あっ、一つだけ、言わなあかんことあったわ」
僕は、カイブツに告げた。
「オレは、おまえのことを書いとる」
だから、もう、そんな些細なことは、どうでも良かった。
「とっとと、こんなアニメ、三本仕上げるわ。
どうでもええねん。会議さえ通したらええねんから」
僕は、アニメの脚本を、すぐに、三本仕上げると、そのノートをカバンの中にしまった。
僕が、椅子から立ち上がると、カイブツははじめて顔を上げた。
顔中になにかが突き刺さっているせいで表情はわからない。
「一緒に帰ろか?」
カイブツは、立ち上がった。
僕はその手を引いて、フードコートを後にする。
すぐ目の前に、エスカレーターがある。
「おい、エスカレーターあるから、気をつけろ」
エスカレーターに乗って、一階まで降りた。
カイブツの手を引いて、街を歩く。
「外に出るのは、3年ぶりか?」
カイブツはコクリと頷いた。
街を見渡す。
つまらないくらい、あの頃と同じ街並みだ。
僕はおもむろに口を開いた。
「この3年間で、だいぶ、変わったで?」
心のなかで、お題をつぶやいた。
〈街が一変したせいで、自殺志願者が思いとどまりました。
さて、どんな風に変わった?〉
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