bar bossa林さんはなぜ飲食を仕事にしようと思ったのか?
林伸次(以下、林) 『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない』は、『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか?』(ともにDU BOOKS)の続編なのですが、今作はより飲食店関係者にウケるんじゃないかなと思っているんです。そこで、今をときめく石渡さんにご登場いただきました。石渡さんはずっと前からbar bossaの常連なんです。
バーのマスターは、「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由
石渡康嗣(以下、石渡) 僕の知っている林さんって、酒を飲まない・誘っても飲み会に来ない・携帯電話を持たない、という人なんですよ。今日はお招きありがとうございます。
林 石渡さんは大学をご卒業された後、NECに入られたのですよね。今の仕事に至る経緯を教えていただけますか?
石渡 NECに入って4年後の1998年、何かが違うと感じ、辞めました。その後、当時日本で300店舗ほど展開していた、スターバックス・コーヒー・ジャパンで店舗の数字を扱う部門に入りました。TSUTAYA TOKYO ROPPONGI店ができるかできないかという、伸び盛りの頃です。
林 飲食業界に入りたいと考えていたんですか?
石渡 できれば飲食に近い会社に入りたいとぼんやりと考えていました。2004年、知人と起業する機会を得て、フットサルコートの横に併設したフットサルカフェKELを東陽町に開いたのが、いよいよ抜けられない飲食店人生の始まりだったんじゃないかな、と思います。そこからずっと食べることにまつわることをしています。
林 飲食業を天職だと思っていますか?
石渡 天職なんですかね。まだ43歳ですし……。
林 肩書は今なんと?
石渡 ……この前「仕掛け人」って言われて、とても違和感があったんですよ(笑)。逃げているわけじゃないですが、肩書きを規定されると伸びしろがそこに収まってしまうと思うんです。とはいえ、もうこれ以上伸び代がないと思ったら、肩書きをつくってそこに収まる可能性はあります。林さんはこの仕事を天職だと思っていますか?
林 僕はもともとレコードとか本が好きで、そういう店をやりたかったんですが、潤沢な資金が必要だと気が付いたんです。でもバーテンダーとかカフェって1~2年で仕事を覚えて、すぐに開業できるんです。あと、飲食って原価が3割。音楽ソフトは原価が7割とか8割だったりするんですよ。これは飲食の方がいいなと思いまして。
石渡 それが何歳の時ですか?
林 23歳です。
石渡 若い!
林 その頃から今の妻と付き合い始めたんです。妻は僕とは再婚で、既に子どもがいたので、二人を養うのにカフェ経営だと無理だな、儲からないなあって。カフェだと一人の単価が700円。でも、バーだと突然、風が吹く時があるんです。2万円とか3万円を領収書で支払う世界。
石渡 やはり瞬間的に風が吹きやすいのは、お酒の方ではありますよね。
林 ブラジル音楽が好きで、ブラジルレストランでアルバイトをしていた時期があったんです。ブラジル人同士のけんかって、突然ボトルを割ってナイフのように使い始めるんです。アングロサクソンは殴る時にパンチをするので、後ろから抱えて引き離すと、けんかを止められるんですが、ラテン系って、武器を使って相手を殺そうとする。だから止める人がみんな血だらけになってしまって、ラテン系のけんかってこわいなあって。
石渡 絶対無理ですね。止められません。
林 ラテン系向けのお店を開いたらこんなことになっちゃうから、日本人向けにしようと。で、下北沢にあるバーで修業を始めました。そこはいわゆるマスコミ関係者がよく来る、業界くさいバーなんですけど、いろいろと学びました。だから飲食大好き、とかそういうのではないんです。天職とはまだ思ってないです。
石渡 なのに今日のようにこれだけ人を集めちゃうのがすごいですね。飲食業を選んだのがすごくネガティブな理由のように聞こえましたが……。
林 飲食って誰でもできるよーと言いたいです。
石渡 いい意味で、参入障壁はすごく低いですよね。
林 外国では酒類販売ライセンスやいろいろな許可をとらなければならないのに比べ、日本では法律的な障害がすごく低いので、だからこそ日本の飲食店はおもしろいんだと、この前ホリエモンが言っていました。
石渡さんはどうやってブルーボトルコーヒーの仕事に携わったか
林 石渡さんは、そういうおもしろいお店のプロデュースをされていますよね。ビルを持っている人や、お金が余っていて税金対策で飲食をやりたいなって人からお話をいただいて、それでプロデュースをしている、そういう感じですか?
石渡 ……だいぶ語弊がありますが、大きくわけるとそういうこともあります。すごく悪い人間みたいですね(笑)。
林 突然、「お店やりたいんですけど」って声をかけられるんですか?
石渡 自分が何が大事なのかを明確にしていないといい仕事は入ってきません。もちろん、ウェブサイトに「税金対策にお店を始めませんか?」とでも書いておけば、いくらでも仕事はきます。でも、そういうお店って99.9999%つぶれますし、成功させるのは無理。僕が今から大リーグに行ってヒットを打てというくらい無理なんです。なので、自分のやりたい仕事をやるために、自分がどうふるまうべきかというのは考えています。
林 そうなると、どうやってブルーボトルコーヒーやダンデライオンチョコレートのお仕事を掴んだんですか?
石渡 当時は僕も若かったんで、「まだまだ勉強をしなければいけない。年に3回は、アメリカに視察に行かねばならない」と盲目的に思っていました。当時、アメリカで見たまんまの業態を日本にもってこようとして、失敗したこともありました。
林 フットサルカフェのあとですか?
石渡 そうです。いくつかお店に携わらせていただいて、その後なんですが、今アメリカではこんなのが流行っているからやりましょう、と提案して、いろいろ失敗しました。
林 ってことは、そんな失敗のあとブルーボトルコーヒーを日本に上陸させる仕事をしたということですか?
石渡 ブルーボトルコーヒーが日本に上陸を目指して、日本のパートナー候補何社かに話をかけている時期がありました。その際に私が元にいた会社にもお声がけをいただいて、担当させていただきました。私がちょうど独立をするタイミングだったのですが、ありがたくも独立後も仕事を担当させていただくことになりました。
林 なるほど。
石渡 話は紆余曲折がありまして、その当時のブルーボトルコーヒーはさほどお金がなかったと思います。アメリカ国内での出店が精いっぱいで、まだ5店舗ほど。でも(ブルーボトルコーヒーCEOの)ジェームスは日本が好きで、いつかは日本に出したいと思っていたみたいで……ただ、パートナー候補として日本の企業をあたっていた時に、ちょうど風向きが変わり、アメリカで大きな出資が決まり、日本進出の資金も潤沢に準備できた感じでした。
林 ……なんだかわからないけどすごいですね。どうしてお金が入ってきたんですか?
石渡 シリコンバレーの世界では、彼らの1億円は僕らにとっての100万円くらいかもしれません。じゃあちょっとお金だそうか、って預ける感覚でぽんとお金を出してくれる投資家が現れた。軍資金もできたところで、じゃあ本格的に物件を探そう、という形で進みました。
撮影:沼田学
次回「流行が終わっても残る店はどこが違うのか?」は12/14更新予定