23歳男性。生後一週間でマクローリン展開をする。四歳でハーヴァードに入学。六歳で数学の博士号を取る。二十歳で万物理論を完成させたのち、「コミュニケーション」の発明を行う古見宇発明研究所を設立する。
ニケ
32歳女性。古見宇研究所助手。好きなものは竹輪とGINZA。嫌いなものはセリーヌ・ディオン。「宇宙の解」を知って絶望していた博士に「コミュニケーション」という難題を与え、結果的に古見宇研究所の設立に繋げる。
「それで、お見合いはどうだった?」
週が明けて研究所に出勤すると、私の事務机にやってきた博士が聞いてきた。
「会いましたよ」と私はうなづいた。
「で、どうだったの?」
博士が隣に座りながら聞いた。私は「楽しかったです」と答えた。
「こういう経験したことがなかったし、相手の男性も優しい方だったので」
「『ウソフィール発見器』は正しく機能してた?」
「してたと思います。まあ、結局しょう太さんと会ったんですけど」
「ああ、最初に試してみた自称生田斗真の人か」
「そうですね。まあ、生田斗真ではなかったんですけど」
年収や住所まではわからなかったけれど、たしかにしょう太さんは少しルーベンス風で、パパイヤ鈴木似の男性だった。
「会ったあとも連絡をとったの?」
「いえ、一緒に食事をして、解散したら『楽しかったです』とメールを送って終わりです。サイトの登録用に作ったメールアカウントは消去しました」
「え? どうして消したの?」
「優しい人でしたし、こっちに気をつかってくれているのもよくわかったのですが、なんか怖かったというか。うまく言えないんですけど」
私はしょう太さんと食事をしていたときのことを思い出した。たとえば私が箸袋を折り始めると、すぐにしょう太さんも箸袋を折り始めた。私のしゃべった内容を繰り返したり、私の意見に不自然なほど同調されたりした。
「なんか、常に私の動きを真似されるんです」
それらが「ミラーリング」という心理学のテクニックで、相手と同じ行動をすることで好かれる方法だというのをテレビで見たことがあっただけに、余計に気味が悪くなった。
「ああ、ミラーリングってやつだね」
「そうなんです。多分何かのテクニック本に書かれていたんでしょうけど、ああいうのって、気づいちゃうと……」
「実にくだらないよね」
博士が言った。「まあ、そのおかげで今回の発明品が役に立ちそうだよ」
「え? 何か発明品があるんですか?」
博士は「これだよ」と言って、ポケットからかわいらしい忍者の人形型のロボットを出した。
「名付けて『ノウハウ忍者・服部サルトルくん』だ」
「なんですか、それ?」
「かつてフランスの哲学者サルトルは、『嘔吐』という小説を書いたんだ。
これはサルトルの哲学を表現するために書かれた日記形式の小説で、30歳の主人公ロカンタンは拾った小石や給仕のサスペンダー、自分の身体などにも吐き気を感じるようになってしまう。焼肉やペットボトルと違い、人間は目的もなくこの世界に存在しいるゆえに、なにごとも自分の責任で決めなくてはならない。少し難しく言うと、現実存在は偶然的、個別的に存在しており、それを克服するために様々な手段を使って自らを拘束しているというものであり、たとえば『人間は自由の刑に処せられている』という有名な言葉は……」
「ええと、要するにどういうことですか?」
「30歳の男が実存に対してゲボを吐きそうになるという話だ。まあ言うならば『実存ゲボ』だね。そして、それと同じようなゲボが、今問題になっているんだ」
「なんですか?」
「コミュニケーションには無数のノウハウが存在している。個別のノウハウをすべて知らなくても、たくさんノウハウがあること自体はわかるよね?」
「ああ、わかります。ツイッターとかフェイスブックでも『気になるカレと近づく10のテクニック』とか、よくシェアされます」
「ミラーリングなんかもその一種だよね。世の中には様々なノウハウがある。でも、この『ノウハウ』という考え方そのものに、重大な落とし穴があるんだ」
「どういうことですか?」
「役立つノウハウほど、多くの人に拡散しやすい。そして、拡散したノウハウというのは、いざ実行したとき相手に気付かれやすい——これがノウハウのジレンマさ。『気付かれてしまったノウハウ』ほどダサいものはない」