あのこは貴族

僕の奥さんになってくれる?

【第14回】
30歳までに結婚したいと強く願っていたのに、彼氏にフラれた華子。
急に人生の岐路に立たされ、結婚への焦りで頭がいっぱいに。
不毛なお見合いを繰り返し、ついに王子にめぐり合ったが――。
気鋭の作家・山内マリコが、アラサー女子たちの葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。

 早々に別荘へ帰るとシャワーを浴びて、二人ははじめて同じベッドに入った。華子は男の人の腕にすっぽりと抱かれる心地良さを久しぶりに味わい、肌が触れ合う安らぎに身を任せた。オーバカナルでの出会いから数回のデートを経てここまで来るのに、わずか数ヶ月。いい人と出会えず婚活に苦悩していた日々が、もはや思い出せないくらい遠い過去に感じられる。

 幸一郎の呼吸が深く穏やかになり、どうやら眠りに落ちたようだが、華子の方はというと一種の興奮状態で、目は冴えわたり、とても眠れそうになかった。手持ち無沙汰から、ベッドサイドテーブルに置いた自分のスマホに手を伸ばした。

 そのときだった。

 ブルルッと夜の静寂と暗闇の中、向こう側のサイドテーブルに置かれた幸一郎のスマホが振動とともに光り、華子は虚を衝かれる。

 幸一郎が目を覚ますかと様子をうかがったが、彼の胸は一定の間隔で、穏やかに上下を繰り返していた。

 華子は幸一郎の腕をするりと抜け出て一階へ降り、キッチンで水を飲んでから、また主寝室へと戻った。ドアをそっと閉めるなり、再び幸一郎のスマホが震えたので、華子はわずかに眉間にしわを寄せる。一体誰がこんな非常識な時間に、連絡を寄越してくるんだろう。

 幸一郎を起こしてはいけないと、慌ててベッドの向こう側へ回ってスマホを手にとった華子。いきおい画面に目が行き、そこにはLINEの発信者がご丁寧にこう示されていた。

〈時岡美紀がスタンプを送信しました〉

 土曜の夜遅くにスタンプを送ってくるような、くだけた関係の女。

 嫌な気持ちと同時に不安が渦巻いて、華子はますます眠れない。華子は幸一郎に背を向けて自分のスマホを光らせ、「時岡美紀」の名前を試しにグーグルで検索した。電波が悪く、なかなか繫がらなくてやきもきするが、すぐにフェイスブックがヒットする。ところがページを覗いてみるも、プライバシー設定のせいでなんの情報も得られない。唯一見られたのは、数ヶ月前に更新したプロフィール写真だけだ。そこには髪の長い、瘦せた女の、どこか色っぽい後ろ姿が映っていた。


 翌朝、幸一郎からの提案で、万平ホテルまで散歩がてら歩き、カフェテラスでブランチをとることになった。晴れてはいるものの午前中はまだ気温が上がらず、吐く息もかすかに白い。ふかふかに積もった落ち葉を華子は少女のように蹴って歩いた。左手は寒そうにトレンチコートのポケットに入れ、そして右手は幸一郎とつながれている。

 突き当たって出たアカシア並木の道はサナトリウムレーンとも、ささやきの小径とも呼ばれていて、これは堀辰雄の小説に由来するのだと幸一郎が言った。場所は定かでないものの、かつてはこのあたりにサナトリウムがあったのだと教えられると、華子はその儚げな響きにうっとりとなった。生まれてはじめて、旅行者が軽井沢に抱くロマンティックなイメージを感じることができた気がした。

 なぜなら華子の中にある軽井沢の思い出といえば、退屈と暇潰しの連続なのだ。ここは夏休みがはじまると、自分の意思とは関係なくルーティーン的に、親に連れて来られる場所なのである。近隣の別荘族との社交に忙しい大人と違って、子供にとって自然以外に遊び場はなく、別段楽しい場所というわけではなかった。過ごしやすい気温というのも、子供にしてみればむしろ物足りない。暑ければ暑いほど、思いきり汗をかき、それによってはしゃいだ気持ちが湧き立つというもの。せっかくの夏の勢いが、文字通りクールダウンさせられるのだ。

 それに普段東京にいるときは、子供を王様のように扱っている親でさえ、ここへ来ると外国風の気質に染まるらしく、子供は邪魔っけという態度を堂々と取ってホームパーティーへ出かけるので、さらにいじけてしまうのだった。そのうえ華子は姉たちと年が離れているせいでろくに遊び相手もおらず、親しい別荘仲間の子もいるにはいるが、人見知りがちな性分のせいで打ち解けるまでに何日もかかり、仲良くなるころにはもう東京へ帰る日が近づいていて、さびしさはいや増すのであった。というわけで、華子の思い出にある別荘ライフというのは、取り立ててきらきらした思い出ではないのである。

「それは僕も同じだな」

 幸一郎はティーカップを口に運びながら、穏やかに笑った。

「ほんとですか?」

 子供時代の気持ちを共有できたことがたまらなくうれしく、華子の声は弾む。

「毎年同じところに行くっていうのも、子供にとってはけっこう苦痛ですよね」

「そうだね、せっかくなら違うところに行きたいもんだよね」

「うちは旅行はゴールデンウィークに行くことが多かったから、夏休みはほんと、毎年代わり映えしなくて、つまらないなぁと思ってました。あ、でも小学生までですよね、親に連れて来られたのって」

 紅茶を啜りながら、華子は朝から饒舌だった。

 万平ホテルはジョン・レノンも避暑の定宿にしていた老舗で、昭和十一年竣工のアルプス館は、隅々までクラシカルな雰囲気だ。カフェテラスは混んでいるが、中高年の客が多く、華子ほど若い女性はほかに見当たらない。

 華子の思い出話に刺激されてか、幸一郎も語りだした。

「でも、僕は嫌いというほどじゃなかったけどな。虫採り網持って、地元の子供と一緒にこの辺を駆け回ってた」

「想像できないです。幸一郎さん、虫とか苦手そう」

「いまは苦手になったけど、子供のころはね。うちの別荘を管理してくれてる人の息子がたまたま同い年で─健介っていうんだけど、健介は虫採りの名人だったから、こんなバカでかいオオクワガタとかを採ったりして」

 幸一郎は愉快そうに、そのオオクワガタがどれだけ大きかったか、指で作ってみせた。

 華子はその様子を微笑ましく眺めた。

「東京にいるときは母親もずいぶん神経質で、なにをするにもいちいちうるさかったけど、軽井沢に来ると逆に放っておかれるのがうれしくてね。そうそう、健介とうちの姉貴とでUNOやったり、モノポリーやったりしてね。健介の家にはスーファミとかあったから、上がり込んで、ご飯も食べさせてもらって、泊まったりもしたなぁ」

「お姉さん、いるんですね」

「言ってなかった?」

 華子はコクッとうなずく。

「お姉さん、いまはなにされてるんですか?」

「姉貴はけっこう変わっててね。大学からずっとオーストラリアに留学していて、そのまま向こうで就職して、イギリス人と結婚したんだ。いまはそうでもないけど、子供のころはけっこう仲悪くてね、姉貴とは。健介と一緒に落とし穴掘って、姉貴を落として、泣かせたこともあったな」

 こういうときの幸一郎は、弁護士然とした堅いムードから一転、やんちゃな男の子の面影を感じさせる。

 幸一郎の姉は、音楽の道に進ませたがった両親に反撥して、大学はオーストラリアに留学したという。西洋美術史を専攻し、卒業後はキュレーターになり、結婚してからも仕事を続けているそうだ。もう十年以上外国暮らしを送っているので、言葉はほぼネイティブスピーカーと変わらないという。

「前にこっちに帰って来たときに話したら、ちょっと日本語が訛ってんだよ」

 どうやらそれがツボだったらしく、幸一郎はめずらしく大笑いして言った。そして幸一郎が本気で笑うと、わずかにだが人を軽蔑するようなニュアンスが滲む。

「お姉ちゃん泣かせるとか……なんか、すごいやんちゃ坊主だったんですね」

「まあね。幼稚舎行ってる奴って基本そんな感じで、みんな野生児だから」

 彼が少年時代にどんな子供だったかを聞けば聞くほど、華子は幸一郎のことが好きになり、彼のことをもっと知りたいと思った。子供のころの話を聞いていると、彼への気持ちは自己中心的なほとばしった恋愛感情から、穏やかで深い家族愛のようなものへと変わる気さえしする。

「ところで、華子さん」

 幸一郎は向き直って、突然真剣な表情で言った。

「はい?」

「昨夜のこと、華子は」と急に呼び捨てになって、「……どう思ってる?」幸一郎はたずねた。

 へっ? 素っ頓狂な声が出て、
「どうって!?」
 華子は思わず身構えて訊き返す。
 セックスの感想をたずねられたのかと思って、ぎょっとしたのだ。

 ところが幸一郎が口にしたのは、こんな話であった。

「僕は最初から、いい人と出会えれば結婚するつもりで、ちゃんとつき合おうと思って、あの日会いに行ったわけだけど、華子はどうなの?」

「わたしは……」

 喉から手が出るほど結婚したい! という焦った気持ちはいつの間にか落ち着き、いまはただ普通に、幸一郎とできるだけ多くの時間を過ごしたいというのが本音だった。でもその先に、結婚というゴールがあるなら、もちろん言うことなしだが。

「わたしも、ちゃんとした気持ちです」

 華子は、まっすぐに彼の目を見て言った。

「じゃあ、僕の奥さんになってくれる?」

「えっ?」

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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maibou8 山内まりこさんcakes連載「 3年以上前 replyretweetfavorite