恋愛と人生は「地獄」であることを直覚させた『共同幻想論』

吉本隆明『共同幻想論』評、第二回は本書が描かれた社会状況に迫ります。『資本論』のマルクスを牽制しつつ、フロイトやヘーゲルの方法論で本書を描いた吉本隆明。学生運動華やかなりしころ、それらの学生に熱烈に読まれたかというと、彼らが意識していたのはちょっと違ったようです。


改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

方法論の原点のひとつはフロイトの『トーテムとタブー』

 人類とは何かという根源的な問題を考察する上で、無意識の内的了解の進化過程に視点を置く方法論として吉本の『共同幻想論』は、進化心理学よりは、ジークムント・フロイトの『トーテムとタブー』に酷似している。むしろ、『共同幻想論』『トーテムとタブー』の反論として書かれているとも言える。そもそも「トーテム」は「禁制」であり、ゆえに『共同幻想論』もこの「禁制論」から始まる。

 だがフロイトによる方法論の帰結は、フロイト精神分析の性意識の発達段階説を確固たる前提として、これに人類意識の歴史に対照させるだけで終わっている。さらにフロイト思想の事実上の集大成である『モーゼと一神教』では、『共同幻想論』のように人類の無意識の変化を扱いながらも、具体的な古代史の探偵趣味に堕している。とはいえこの対比でもわかるが、吉本隆明の『共同幻想論』もまた、縄文人・弥生人といった歴史時間への対応として誤読されることは少なくない。

 では性意識(対幻想)と、共同幻想である呪縛的な国家幻想をつなぐ、吉本の方法論は、どのように方法論的に支持されうるのだろうか。進化心理学にも方法論があり、フロイトもまた彼の精神分析と呼ぶ方法論がある。吉本隆明の『共同幻想論』の方法論はなにか。

もう一つの原点はヘーゲルの『精神現象学』

『共同幻想論』に示される、もう一つの方法論は、マルクス主義を原点とする吉本隆明が、20世紀に支配的だった左翼思想の原点を懐疑的に解体・再構成しようとして、カール・マルクスより以前の根となるフリードリヒ・ヘーゲルの『精神現象学』を再読して得た、ヘーゲルの現象学的方法論であった。そこから吉本はマルクスとは異なった形で、ヘーゲルによる、個人主体の意識的な主観的精神から統合的な絶対知への転換を、無意識的な幻想領域として取り出した。その意味で吉本隆明の『共同幻想論』は、ヘーゲルを継ぐ、あたかも『人類意識現象学』といった様相も示している。こうしたヘーゲルの方法論的な配慮は本書の各部で垣間見ることもできる。例えば、『精神現象学』での家族の本質についての叙述を引用したあと、吉本はさらりと読み替えを示唆する。

 ここでヘーゲルの「敬愛」という言葉は、ただ〈関係〉と読まれるべきだが「感動」というのはそのまま読まれてよいだろう。
(中略)
 ヘーゲルの考察は〈性〉としての人間が〈家族〉の内部で分化していく関係を、するどくいい当てているとおもえる。

『共同幻想論』が発表当時に支持された理由
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