ソフト指し不正疑惑】1・将棋界の美徳、自由、規則

コンピュータ将棋の発展にともなって、その可能性がささやかれていた、ソフト指し不正疑惑。事件は、衝撃的な形で発表されました。


(2010年、名人戦七番勝負に臨む三浦弘行現九段)

 恐れていたことが、起こった。

 それも考えうる限り、最悪に近い形で起こった。

 そう言っても、いいのではないか。

 2016年10月12日夜。将棋界に激震が走った。

 当初、将棋連盟から発表されたリリース文書を要約すれば、三浦弘行九段が、挑戦権を得ていた竜王戦七番勝負に出場しないのみならず、年内の間、出場停止となる。要点だけを記せば、そういうことだ。

 前代未聞の、重大な事態である。なぜ、そんなことになったのか?
 当然ながら、そういう疑問が浮かぶ。

 リリース文書には、何の経緯説明も、理由も示されていない。三浦九段の名誉を傷つけ、棋士生命を奪いかねない、デリケートな問題である。そこには、複雑な事情が存在することが、うかがい知れる。だからと言って、この情報の出し方では、いらぬ推測をするな、という方が、無理である。

 やがて、マスコミの報道などから、断片的に、様々な情報が伝えられ始めた。要するに、三浦九段は公式戦で、コンピュータ将棋を参考にして指し手を決めている、という疑念を持たれている。そうした事情が、明らかとなってきた。

 三浦九段は、「ぬれぎぬ」だとして、自身に対する疑念を否定している。現在までに伝えられている細かい経緯は、ここでは省略するが、根本的にはこのソフト指し疑惑が元となって、三浦九段は出場停止に至っているようだ。

 言うまでもなく三浦弘行は、現代を代表する棋士の一人である。
 1996年には、羽生善治から棋聖位を奪って、七冠の牙城を崩した。
 2013年の電王戦では、コンピュータに立ち向かう人間側の最後の砦として、大将に立てられた。
 常に将棋に真摯に向き合い、研究の鬼として知られた男である。その三浦が、ソフト指しなんて、するだろうか?

 筆者は現在、事件の真偽を含めて、詳しい事情を知る立場にない。全てがわかってしまえば、逆に書けないこともあるだろう。時間が経って、少しずついろいろな情報が漏れ聞こえ始めてはいるが、詳細を知らぬうちに、遠巻きから、書けることを書いておきたいと思う。

 囲碁、将棋の上級者同士の対局は、江戸時代の昔から、長い時間がかかった。昔は基本的に、時間無制限である。相手があまりに長考するので、風呂屋に行き、風呂にゆっくりと浸かって、帰ってきたら、まだ考えていた、という故事もある。

 そのうちにようやく、持ち時間が設けられるようになった。ただし、現在の感覚からすればそれは、相当に長い。


(京都・南禅寺)

 1937年、京都の南禅寺でおこなわれた阪田三吉-木村義雄戦、および、天龍寺の阪田三吉-花田長太郎戦は、持ち時間30時間で、対局が終わるまでに、それぞれ7日かかった。

 2016年10月15日・16日、渡辺明竜王に丸山忠久九段が挑むことになった、竜王戦七番勝負の第1局は、阪田-花田戦と同じ、天龍寺でおこなわれる。こちらは持ち時間8時間で、2日制。79年前の阪田-花田戦に比べれば短くなっているが、一般の方の感覚からすれば、これでもまだ、十分に長いだろう。

 1日制の対局でも、かつては持ち時間8時間ということもあった。対局は朝早くに始まり、双方が持ち時間をめいいっぱい使えば、決着がつくのは、徹夜でその翌朝、という設定である。

 現在、将棋会館でおこなわれる対局で、いちばん長い持ち時間は、順位戦の6時間である。次いで、竜王戦などの5時間。

 昔に比べれば持ち時間は短くなったが、それでもまだ、将棋の対局時間は長い。そして、持ち時間の許す限り、基本的に何をしても自由、という原則は、ずっと変わっていなかった。だから、将棋会館の誰もいない部屋で昼寝をするのも、外に出かけるのも、自由だった。

 席を離れることが自由、となれば、可能性の問題として、そこには不正の余地が生まれる。そう考えるのは、不謹慎なことではなく、自然である。

 まず前提として、将棋界では「助言」(じょげん)はご法度である。対局者以外の第三者が対局中に、対局室の盤側であれこれアドバイスをするのは、当然ながらアウトだ。では誰も見ていないところで、それがおこなわれるのはどうだろうか。

 コンピュータの話を持ち出すと話がややこしくなるので、昔から想定できそうな、単純化した不正の例を考えてみよう。

 それほど強くない棋士Aが、重大な対局を戦っている。夕食休憩の段階で、局面は終盤の勝負どころを迎えている。Aは夕食を取るため、外に出かけていく。休憩の1時間弱の間、Aは人目のつかないところで、途方もなく強い棋士Bに会う。Aは現在の局面を示して、Bにアドバイスを請う。Bはたちどころに勝ち筋を示して、詳細な変化をAに伝える。将棋会館に戻ったAは、Bが示した順そのままに指して、鮮やかに勝利を収める。

 以上は、創作の才能のない筆者が、いまざっと考えたストーリーである。推理小説作家ならば、もっと気の利いた華麗でスマートなトリックを思いつくだろうし、そうした作品もあるに違いない。

 囲碁、将棋界ではかつて、一門の代表が戦う際に、指し掛けの夜、門弟が集まって、一門総出で検討をしていたという故事はある。

 では現代に、第三者からの助言で対局者が指していた例があったかというと、それは寡聞にして聞いたことがない。プロや、大会に出場するようなアマチュアならば、「対局中に人からアドバイスをもらって勝とうなど、想像したこともない」という人がほとんどなのではないだろうか。そのあたりは、将棋界の美徳と言ってもよさそうだ。

 そうした中で、1983年からの一時期、対局者は対局中に、将棋会館から外に出てはいけない、という規定ができた。食事については出前か、あるいは将棋会館内のレストランで取ることになる。

 この規定の趣旨や設立経緯について、筆者は詳細を知らない。推測すれば、おそらくは不正や、あるいはそれに関する疑惑を未然に防ごうという意味があったのだろう。さらに邪推すれば、将棋会館内のレストランの売上をあげようという意味もあった・・・のかどうかまでは、わからない。

 1983年12月30日におこなわれた、米長邦雄王将-武者野勝巳四段戦(肩書は当時)では、その規定をめぐって、昼食休憩前に、一悶着が起こった。『将棋世界』1984年3月号に掲載された自戦記で、米長は以下のように記している。

>私は常々この様な細かい規則で棋士という物を縛るのは極めて宜しくないと考えている。
>それで対局中でも相手の了解を得て外に食べに行く事もある。この日もそうしようと思い、武者野君に「今日は陽気もいいし、外に食べに行ってもいいか」と聞いたところ「規定でいけない事になっております」という答えが返ってきた。これには温厚な私も少しばかりカチンときた。この事について断わられたのは初めてであり、またその初めての相手が自分よりはるか後輩の男とあってはなおさらである。しかしながら相手がダメだと言っている以上、公式戦の対局中に先輩だからと言って怒るわけにもいかず、腹は立ったが注文することにした。

 米長らしい諧謔にあふれた表現なので、あまり野暮な突っ込みを入れてもしょうがないが、自分のことを「温厚」と自称する人は、だいたいそうではない。米長は、自分がどう扱われるかについて敏感だった。誰よりもプライドが高く、そのプライドを傷つけられたと感じれば、すぐに頭に血が上った。

 蛇足ながら補足をすれば、当時の米長はタイトル保持者として、押しも押されもせぬ、大スターである。外に出て、どこに行こうと、米長がよく対戦する数人の超一流の棋士をのぞけば、米長以上に強い人間はいない。コンピュータはまだ、絶望的に弱い時代である。不正のしようもない。

 一方の武者野は、理事職にあるものの、対局相手としては、米長から見れば、はるか格下だ。だから規則だろうと何だろうと、自分の言い分が通らなくてカチンと来た、と正直につづっているあたりが、最高に面白い。アマチュアの読者が面白がって読んでいる分には、こんなに面白い自戦記もないだろう。

 1980年代は、将棋界にとっては活況に満ちた時代だった。アマチュア大会の参加者数はピークに達し、多くの将棋専門誌が出版されていた。そして、プロ・アマ問わず、盤上、盤外で、よくもわるくも、様々な事件が起こった。

 米長は自戦記でさらに、こう続けている。

>対局中に外に出てはならないと言うのならば、対局中は理事の理事室の出入りもいけないという規則も作って、さらに徹底してもらいたいもんだ。
>全く、くだらん理事どもめが。

 80年代の高揚した、フリーダムな雰囲気が伝わってくるような一文だ。 『将棋世界』は、将棋連盟の機関誌である。しかしこの頃は、混沌とした自由な雰囲気があった。升田幸三、芹沢博文、米長邦雄らによる、大山康晴会長への批判記事が繰り返し掲載されるなど、フリーダム過ぎて面白い。

 昼食休憩前、米長は盤上で、マナーとしてはやってはいけないはずのことをする。

>怒りのおさまらない私はノータイムでこの銀を取り、わざと△8八角不成と叩き付ける様に取ってやった。

 無意味な大駒の不成というのは、相手を侮辱するものとして、やってはいけないこと、と先人からは教わる。

 ある一流棋士が奨励会時代、例会で先輩と対局中、時間に追われて、大駒を不成で動かしてしまった。相手の先輩は「は?」と言って、にらみつけてくる。相手の気分を害することをしたのはわかっているので、身をすくめる他にない。対局後、先輩からはどやしつけられ、何度も謝った、という。

 先輩、後輩の間柄だからやってはいけない、ということではない。どういう立場の人間が指しても、品がない行為として受け取られるだろう。

 米長が昼食に何を頼んだのかは、書かれていない。何を食べたのかはわからないが、頭に血が上っていた米長は、昼食休憩中に考え直した。

>仕方なく会館の中で食事を取ったのだが、この時考えた事は、このままの精神状態ではマズイのではないかという事だ。この日の様に感情を著しく乱している時は、えてして指し手に勢いがつきすぎて勝敗が思わしくないものだ。そこで、この後は出来るだけ慎重に指すことを心掛けようと思った。

 このあたりは、さすがに百戦錬磨の棋士である。米長は、自分が頭に血が上りやすいことを、よくわかっていた。そして、そうした精神状態は、勝負にマイナスに作用することもまた、知り抜いていた。

 昼食休憩が終わって、対局は再開される。冷静になれば、格上の米長が順当に勝ちそうとしたものだ。米長は自分の形勢判断を信じて、楽観していた。15時前という早い段階で、自分の勝ちだと思っていた。

>もうすぐ終わるのかと思っていたのだが、武者野君は仲々手を下さない。どうやっても負けの局面で何を考えているのかと思い、相手に「早く指したらどうか」と催促した所、「いえ、折角教えて頂くのだから、ゆっくり考えさせてもらいます」という返事だった。

 たとえ相手が格下であろうと、ルールを覚えたての初心者であろうと、相手が持ち時間の中で考え続けるのは、権利である。だから、「早く指せ」などとは、言ってはいけないことだ。もし子どもたちにマナーを教える立場だったり、アマチュア大会で傍若無人なふるまいをするおじさんをたしなめる立場だったら、そう注意するだろう。

 しかしながら、そうした建前とは矛盾することだが、見ていて面白いプロの勝負のドラマとは、マナーとは相容れない言動から生まれることも多い。

 升田幸三はA級順位戦で、終盤、対局相手に対して、「小僧、早く指せ!」「小僧、早く指さんか!」と、怒鳴りつけていたという。世間から見れば堂々たるA級八段も、「名人の上」を名乗った升田からは、小僧呼ばわりだった。怒鳴られる若先生の方は、たまったものではなかっただろう。しかし、今となっては、往年の升田の迫力を伝える、貴重なエピソードである。

 武者野が長考中に、米長は気づいた。自分の勝ちどころではない。金をただで捨て、攻めを遅らせる、驚くべき絶妙手がある。もし武者野にそう指されれば、米長の負けである。

 残念ながら、武者野はその順を見つけられなかった。そうなれば、米長の勝ちである。武者野の玉には詰みがある。決して簡単な順ではなく、長手数ではあるが、確かに詰む。米長はそれを読み切り、確認した後、武者野に向けて、詰みを宣告している。

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コメント

kiyotaka1974  完全に読むにはログイン等が必要だが、武者野先生と米長先生のバトルが既に始まっていたということ。#将棋 #shogi 8ヶ月前 replyretweetfavorite

Syunrou 4件のコメント https://t.co/7tsLoKXtOe #将棋 8ヶ月前 replyretweetfavorite

Syunrou 4件のコメント https://t.co/7tsLoKXtOe #将棋 8ヶ月前 replyretweetfavorite

feilong 4件のコメント https://t.co/JH5T1Ms89B 8ヶ月前 replyretweetfavorite