7年前、「愛より大切な感情だってあるはずだ」と西川美和は言った。

突然の別れ、死別、そして「愛」よりも大切なこととは。公開中の映画『永い言い訳』を巡り、芳麗さんが、西川美和さんが思う幸せを掘り下げます。過去作をすべて取材をしてきた芳麗さんだからこその“永い問いかけ”に、西川さんはどう答えるのでしょうか。
中編では、西川美和さんが、よくわからない「愛」よりも「関係すること」の大切さについて語ります。
この道20年のベテラン女性誌ライター・作家の芳麗さんが贈る、“ありふれた女”たちのための幸福論です。

悔いのない別れはない

芳麗 今作『永い言い訳』は、西川作品の中でも異色ですよね。最も希望が感じられ、ちゃんと気持ちのいいラストも用意されている。何か心境の変化があったのですか?

西川美和(以下、西川) 小説を書いた後、自分でも自分の変化を分析してみたんです。これまでの私の作品は崩壊に向かう話でしたよね。

芳麗 『ゆれる』も『夢売るふたり』も、最初はささやかでも幸せだったはずの主人公が、その幸せに潜む欺瞞や自分の本心に気づいて崩壊していくという話ですよね。

西川 ええ。最初は体裁は整っていたものの表皮が一枚づつ剥がれて、物事の本質があらわになり、次第に均衡が崩れて、何かが崩壊して終わることが新たなステップになるという話が多かった。
 でも、今作は最初に崩壊ありき、そこからどう再生していくかを描いているんです。

芳麗 本作の主人公・幸夫の長年連れそった妻が、冒頭で不慮の死を遂げてしまうところからですものね。

西川 ショッキングな崩壊はそれだけでもドラマティックですけど、現実は、崩壊後の人生の方が長い。再生するための手立ても救いもなかなかなければ、その道は淡々としていて険しいものじゃないかと思ったから描きたくなったんです。

芳麗 そう思ったきっかけはあったんですか?

西川 いろんなところでお話していますが、東日本大震災です。私自身は被災したわけではないけれど、当たり前に続くと思っていた日常が、突然、何の予兆もなく奪われてしまうことがあるんだなと。私のみならず、日本中があれだけ生々しく実感したことはないと思います。

芳麗 それは、幸夫が突然、身近な人—妻と死別した経験も同じですよね。

西川 はい。いつ誰がどういう事情で日常が奪われたり、突然の別れが訪れるかはわからない。ある意味、平等ですよね。

芳麗 「突然の不幸」は誰にでも訪れる可能性がありますからね。

西川 崩壊よりも、その先にある再生を描きたいと思ったのは、私自身、年齢と経験を重ねてきたからというところもあると思います。個人的にも、いろんな出会いと別れがあったし。自分も幸夫のように誰かを失った後、どうにか穴埋めをしようと悪あがきしたけれど、おいそれと心の穴も物理的な穴も埋まらなかった経験がありますから。

芳麗 はい。

西川 あらゆる別れの中でも特に死別は大きいと思います。もう二度と会えないから、取り返しようもない。

芳麗 西川さん自身は、身近な人を亡くした経験はありますか?

西川 私は両親も兄弟も健在ですし、血の繋がりのある人を亡くした経験は少ないです。でも、この業界は働いている人の年齢の幅が広いですから。お世話になったベテランスタッフで亡くなられた方は少なくない。その度、別れは突然だなと思います。

芳麗 私も身近な人との死別を何度か経験していますが、「もう、二度と会えないなら、最後に会った時、ああ言えばよかった」などと毎回、思います。

西川 はい。「なんであの時、電話かけなかったんだろう」と思ったりしますよね。……そう考えると、悔いの残らない別れの方が少ないのかもしれない。

もう愛していなくとも、後悔と喪失感はある。

芳麗 幸夫が死別した妻の携帯に残された「もう愛していない。ひとかけらも。」という自分宛の未送信メッセージを見つけるシーンがありますよね。幸夫だって「妻への愛はない」と言って浮気していたのに、すごく悔しがって荒れるじゃないですか。あの場面は悲しくて、でもおもしろかったです。
 もう愛していないと自覚していても、お葬式で泣けなくても、悔いと喪失感は強くあるのが人間なんだなと(笑)。

西川 そうですね(笑)。人間って、いとも簡単に「もう愛してない!」って思ってしまう生き物だと思うんです。あまり考えなしに、その瞬間の感情として。

芳麗 ああ、男女間だと特にそうですよね。あんなに愛していたはずなのに、一瞬で憎くなる(笑)。でも、その憎しみもふとした瞬間にまた和らいだりするし。

西川 そうそう。それでも、冷めても憎んでも取り繕いながら、一緒に続けていくのが夫婦であり、家族なのかなと。

芳麗 すると、夏子の「もう愛していない」という感情も、絶対的なものではなくて、移ろっていた感情なのかもしれないですね。電池が切れかけた携帯の画面みたいに浮かんだり消えたりしていたものかも。

西川 本当ですね。よく取材で、「夏子の本音は? まだ、幸夫への愛はあったのですか?」と聞かれるんですけど、そんなの私にもわからない。夏子の中にも答えはないんじゃないかと思う。ただ、きっと生きていれば、夏子なりの「言い訳」はたくさんあったはず。でも、死別した限りは、二度と、その言い訳を聞くことはできない。互いに愛があったかどうかよりも、“死という別れ”の取り返しのつかなさ、隔たりの深さの方を描きたかったんだと思います。

後悔なく“愛する”ってどうすればいい?

芳麗 幸夫は「愛するべき日々に愛することを怠った」ことに後悔しています。でも、長らくの夫婦関係の中で、どうすれば、“ひとかけらの愛”でも残せたのか。後悔なきように愛するって、どうすればよかったんだろうと思うんです。

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芳麗

cakesでも「雑誌が切り取る私たち。」でお馴染み、この道20年のベテラン女性誌ライターであり作家の芳麗さんが贈る“ありふれた女”たちのための幸福論です。芳麗さんが敬愛する女性を招いて、幸せとは、あるいは不幸せとはなにかを探していきます。

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コメント

taiki411 映画みたあとにこれを読むといろいろ納得した。人生は他人だ。 約2年前 replyretweetfavorite

kawauchi_co あぁ、もう絶対観ます、永い言い訳。人間のインサイトを鋭く突いた素晴らしい対談だ… → 約2年前 replyretweetfavorite

bunshun_senden 芳麗 今作『永い言い訳』は、西川作品の中でも異色ですよね。最も希望が感じられ、ちゃんと気持ちのいいラストも用意されている。 約2年前 replyretweetfavorite

bacsei 映画「永い言い訳」にまつわる、cakesのこの対談記事はいいね。" 約2年前 replyretweetfavorite