2013年2月、住み慣れた街を離れて、新しい街へ引っ越した。新しく住み始めた街のことはまだよく知らないので、住み慣れた街のことを書く。
私と武蔵小山との出会いは大学生のときだ。アルバイトで家庭教師をしていた先が、たまたま武蔵小山駅にあった。駅前からPALM商店街を直進してマクドナルドを左折、一番通り商店街を突き当たりまで歩き、後地交差点のすぐ近く、いしい園と朝日地蔵尊のそばにある一軒家。中学三年生の理系男子で、国語だけ苦手なので見てほしいと頼まれた。楽な仕事だった。
祖父母の家が大岡山にあったので、もともと目蒲線には乗り慣れていた。子供の頃、まるっこくて緑色の目蒲線旧車両を「ケロケロ電車」と呼んで、それに乗ってサンメグロの屋上遊園へ行くのが楽しみだった。車で行くときは、乗用車一台分の小さな昇降機でサンメグロ屋上駐車場まで上がり、秘密基地からカタパルト射出されるパイロットの気分を味わうのが楽しみだった。東急線の初乗りが小人40円だった頃の話である。床面が木製の車両も走っていた。
2000年前後の武蔵小山駅は、そんな幼少の思い出がよみがえってくる佇まいだった。まだ地上駅で、駅舎も見事に木造、踏切つき。Y字の屋根の架かった低いホームから見る「立ち飲みすたんどちっぷす」の庇が強烈で、かの名高き「サロンおひめ」も健在。焼鳥屋「鳥勇」の店先には夕方から客が並び、立ち食いしながら道端で一杯ひっかけている。その奥には昭和の香り漂う堂々たるスナック街があった。
表通りでは鍋釜や靴下から布団や家具にいたるまでどの店も安売り札が下がることなく、十歩進むごとに違うドラッグストアがあって価格破壊を繰り広げている。スポーツ用品店のみならず登山用品や社交ダンス用品、雨具や作業着の専門店まで軒を並べ、貸店舗では週替わりで全国各地の物産展が開催されており、同じパン屋が何軒も支店を出して、いずれも売切御免。週末には店の前にさらに模擬店が組まれてマスコットキャラクターの着ぐるみが練り歩き、平日にもどこかしらのテレビ局の番組クルーがカメラを構えて「東京の下町主婦」たちを捕まえる。
かつて「東洋一のアーケード」と謳われた立体駐車場完備のこのPALM商店街だけでも全長800メートルあり、中原街道へ出た途端に全長1.3キロの戸越銀座商店街のしっぽに連結される。中小規模の商店街はこの他にも縦横無尽に伸びて、目黒郵便局辺りまでが近隣住民のシマだ。駅の佇まいからは想像できない、パチンコの大型店舗さえ飲み込まれて小さく感じるほどの大きな街だった。
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