次に、義兄である岡上真の紹介で弁護士と会うことになっても、これまでの数々の失敗から、華子は期待に胸膨らませたり、どんな人だろうと想像することをやめ、ついでに気合いを入れてお洒落することも放棄して、スキニーパンツに紺色のTシャツにヴァンクリーフのロングネックレスといういたってラフな格好でのぞんだ。かごバッグにエスパドリーユ、冷房対策にカーディガンを羽織っている。
華子が紀尾井町のオーバカナルにたどり着いてウエイターに名前を告げると、「もういらしてます」とテラス席に通された。仕事のあとに軽く一杯、という提案も、真は同席しなくても二人で平気ですよというのも、先方から言われたことだった。女の子を紹介されるのは慣れっこなのかもしれない。あの商社マンみたいにチャラチャラした人だったら嫌だなぁと思いながら、華子はテラス席に座る、スーツ姿のその人を見た。
足を組んでゆったりと椅子に腰掛けていたその人は、見るからに育ちが良さそうで、顔立ちもすっきり整ってはいるが、それでいてどこか垢抜けない感じがあった。
「榛原さんですね? はじめまして、青木幸一郎です」
彼は華子の顔を見るなり軽く腰を浮かせ、会釈して感じのいい笑顔を向ける。
ウエイターに椅子を引かれ華子が腰を下ろすと、青木幸一郎はメニューを見ながら、
「お酒は飲めますか?」とたずねた。
「ちょっとなら……」
とこたえつつ華子は、メニューに目を落としうつむいている彼を、ちらりと盗み見る。ほんの少しは整髪料をつけているようだが、髪型はいわゆる坊ちゃん刈りというやつだ。華子は直感で、この髪型は小学生のころからほとんど変わっていないと確信する。イケメンではないが、ハンサムだ。端整ではないけれど、母性本能をくすぐる甘さがある。メニューを持つ大きな手と、長い指がとてもきれいだった。
「僕、一杯目はビールもらおうかな。ヒューガルデンください。榛原さんは?」
「あ、じゃあわたしも、同じものを」
乾杯して一口飲みながら、まずは紹介してくれた真の話になった。
「榛原さんは、岡上さんの、義理の妹さんなんですよね」
岡上というのは、真、つまり香津子の夫の姓である。
「はい。うちの上の姉の、旦那さまなんです」
「岡上さんと榛原……華子さんとお呼びしてもいいですか?」
「はい」
「華子さんとは、ずいぶん年が離れてるんですね。岡上さんは僕からしても、だいぶ先輩なので」
「わたし、三姉妹の末っ子なんです。姉二人とは年が十歳以上離れていて、お義兄さんのことは、小学生のころから知っています」
「へぇ、そうなんですね。僕は去年から岡上さんの会社を担当させてもらっているので、まだ一年未満のおつき合いですが……そうですか、小学生のころからですか。あ、僕の仕事のことは、どのくらい聞いてらっしゃいますか?」
「顧問弁護士さん、なんですよね?」
「はい。あ、これよかったら、申し遅れましたが……」
青木幸一郎は思い出したようにジャケットの内ポケットを探り、黒い革の名刺入れを取り出すと、中から一枚抜いて華子に両手で差し出した。仕事モードの、ちょっと仰々しい仕草になり、
「いやーなんか緊張しますね」とフラットな声で付け足す。
口ではそう言いながらも、それがどこか本心ではないような、上辺な感じのする「緊張しますね」、だった。本当は全然緊張などしていないけれど、それだと華子に失礼なので、僕は緊張していますよと、一種リップサービスのつもりで言っているのだ。青木幸一郎は堂々としていて、見ていてこっちが照れてしまうところがない。そういう意味では非常に洗練された人物であった。
青木幸一郎のこの、圧倒的に無傷な印象は、ほかの場面でもしばしば見受けられた。この人は本当のところ、恥というものをかいたことがないのではないかというような、一本太い神経が背骨に通っている感じ。「照れますね」と言いつつ、微塵も羞恥を感じさせない、控えめな尊大さ。そして華子は幸一郎のそういった部分を、「頼もしい」と解釈した。華子は先の婚活で会った医者のように、緊張で空気をぎくしゃくさせる場慣れしていない男性を、どうしても素敵とは思えない。一方、幸一郎のどっしりした大人な態度は、それだけで華子を魅了したし、この男性の陰に隠れていれば、自分もまた恥などかかずに済むような、絶対的な安心感を覚えたのだった。
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