あのこは貴族

専業主婦願望をちらつかせるような無職の女は願い下げ?

【第7回】
30歳までに結婚したいと強く願っていたのに、彼氏にフラれた華子。
急に人生の岐路に立たされ、結婚への焦りで頭がいっぱいに。
父おススメのお見合い案件が控えているが、安心はできなくて――。
気鋭の作家・山内マリコが、アラサー女子たちの葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。

 父からのお見合いより先に、相楽さんがセッティングしたブラインドデートの予定が立て続けに入る。華子は相手に指定されるがまま、都内あちこちのレストランやホテルのラウンジに足を運んだ。初デートに相応しい格好をするだけでなく、タクシーで到着するところを見られると経済観念のない女だと思われそうで、わざと少し離れたところで降ろしてもらって待ち合わせ場所まで歩くなど、つかえるだけの気をつかう。電車で行くのは論外だった。足がきれいに見えるようにうんと高いヒールを履いているから、五十メートル歩くのも気が遠くなりそうなのだ。

 人垣の中に華子の姿を見つけたお相手の男性は、決まってほっとしたように表情をゆるめた。華子は色白で優しい目をしていて見るからにおっとり型だから、与し易い雰囲気があって、男性を決して威圧しない。初対面の印象でいえば、華子は百点である。さらに話してみても控えめで、育ちの良さが仕草や言葉の端に滲み出る。彼らが相楽さんから伝え聞いている華子の家柄や経歴も、もちろん申し分なかった。しかし、華子が会社を辞めていまは特になにもしていないと言うと、どの人もあからさまに顔を曇らせた。

「へぇ、そうなんだ」
 と言ったきり興味を失くしたのを隠さない人もいれば、

「なにもしてないってどういうこと?」
 と単刀直入にたずねる人もいたし、

「ニートなの?」
 と無遠慮に訊いてくる人もいた。

「いや、ニートではないんですけど……」
 華子はなけなしの自尊心を振り絞って笑顔で言いながら、
「しいて言うなら家事手伝いです」
 と訂正するも、華子は家事など手伝ったためしがない。しかも「家事手伝い」という古臭い肩書きが、余計に男性を引かせているのは手に取るようにわかった。

 多くが二十代の彼らは、ことのほか妻に寄生されることに嫌悪感を抱いているようだった。結婚して子供が産まれ、なし崩し的に家庭の中の仕事量が増えれば話は別だが、基本的にはそれなりにキャリアがあって給料の稼げる女性を妻にしたいと思っているらしい。はなから専業主婦願望をちらつかせるような無職の女は願い下げというわけだ。まるで自分だけがかび臭い昭和の価値観においてけぼりになっているようで、ただただ肩身が狭い。そんなわけで話しているあいだじゅう、華子はずいぶん惨めな思いをした。

 意識高い系の商社マンには、
「なんでもいいからバイトくらいはした方がいいんじゃないですか」
 とアドバイスまでされる始末。

 その方が、精神衛生上いいのだそうだ。

 アルバイトというものを華子はしたことがなかった。友達に誘われてなにかのイベントに駆り出され、文化祭の延長のようなことを言われるままにこなし、最後にお金をもらったことはある。知り合いの外国人夫婦の子供を預かったときは、思いがけず高額のお小遣いをもらったりもした。けれど、シフトや時給、タイムカードといったものが絡んでくるような雇用形態では、一度も働いたことがない。

 そういった労働を、学生時代にやっておけばよかったとは思う。けれどそれは、年内に結婚しなければと追い詰められているいまこのタイミングですることではない。華子はアルバイトの代わりに、ある場所に通いはじめた。


 華子が入学した着付けの学校には、師範のコースがあった。ただきものを着られるようになりたいだけなら中級コースに通うところだが、それではただのOLのお稽古事になってしまう。華子は師範コースを選択し、四月からは週二回の授業に足掛け一年通う、にわか学生の身分となった。

 師範コースに来ている生徒は、華子を除くすべてが既婚者であった。二十代なのは華子一人で、三十代が一人、あとは十把一絡げに〝おばさま〟と華子は認識している。最初の授業はオリエンテーションのような感じで、輪になって座った全員が順に自己紹介していく。子育てが一段落した主婦が多いものの、金融関係の会社で派遣として働いている人や、家業のお店を手伝っている人、点字のボランティアに励んでいる人、趣味が高じてカルトナージュ教室の講師をやっている人など、純粋に専業主婦という女性は案外少ない。そんな中、華子はこう自己紹介した。

「榛原華子といいます。大学を出てから化粧品メーカーに勤めていましたが、去年退社しました。まだ……結婚はしていません。師範資格をとったら、将来は自分の子供に着付けをしてあげたいです」

 女性たちは、娘ざかりの華子を目を細めて見上げた。

「あんまり若く見えるから、大学生かしらって思ってたのよ」

 などと言われ、華子も気を良くする。末っ子ということもあって、華子は自分がいちばん年下というポジションだと、ほどよくリラックスすることができた。物静かで常に遠慮がち、自分から面白いことは決して言わないけれど、人の話にはにこにこと上機嫌に耳を傾ける華子は、おばさまたちの上品な、それでいてどこか下卑た世界に、たいそう歓迎された。教室は銀座にあり、帰りにちょっとお茶でも、ということにたびたびなった。午後のひととき、凮月堂などに寄って、あちこちで談笑する中高年の婦人にまじり紅茶を啜っていると、華子はなんだか一足早く『家庭画報』の世界に入れてもらった気がした。

 はじめてお茶に誘われたときは、華子一人が極端に若いせいか、好奇心半分と気遣い半分で、いの一番に質問を受けた。

「榛原さんはご実家にお住まいなの?」

 品のいい五十代の女性に訊かれ、

「はい、松濤の方です」と華子はこたえた。

「あら、もしかして榛原さんて、榛原整形外科と関係ある? うち駒場なんだけど、いまおばあちゃんが榛原整形外科のリハビリに通ってるの」

「そこ、父がやっています」

「まぁ~そうだったの。そぉーお、あなた、榛原整形外科のお嬢さんなの」

 その女性の兄が、華子の父と同級生であるという話まで飛び出して驚き合う。この場合の驚きは、世間は狭いわねぇといった類のものではなく、まぁあなたも私と同じ世界の人間だったの? というものであった。慶應という記号は、ここではそのような意味を持つ。いかにも詮索好きといったその女性が中心となって、話はあっちへ飛んだりこっちへ逸れたりしつつ、なんとはなしに弾んでいる。きものっていいわよねぇ~と夢中になって魅力を語ったかと思えば、簡単で美味しいおかずのレシピ交換がはじまったり、介護の苦労話や子供の受験などが話題に上がって、実にめまぐるしい。さまざまな年代の女性が集まれば、会話から溢れ出る暮らしぶりもとりどりである。しかし総じて、ここにいる女性たちは幸せそうだった。家計にも時間にも余裕を感じるが、なにより妻という自分の立場に対する自負はことのほか強固であり、絶対的だった。アイデンティティのほとんどが、妻であり母であることで占められて、それは揺るぎない。結婚し家庭を持っているというだけで、人はここまで堂々とした様子になれるのかと華子は思うのだが、そういったかすかな傲慢さを鋭く嗅ぎ分けてしまえるということは、自分がまだそれを手にしていない、なによりの証拠なのである。

 自由が丘のメゾネットで暮らしているという新婚の女性は、なかなかのお喋り好きとみえ、次第に場を沸かせるようなことを言うようになった。義母との関係や、料理が苦手であることなど、多少突っ込んだ内容を吐露しつつ、ぽろりと「夫とは結婚相談所で知り合って……」と口にしたのを、華子は聞き逃さなかった。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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shueisha_bungei 山内マリコさんの最新長編『あのこは貴族』のcakes試し読み連載、第7回が更新されました。「 約4年前 replyretweetfavorite

nerimarina ガッキーならOK! 約4年前 replyretweetfavorite

taconome |山内マリコ @maricofff |あのこは貴族 山内マリコさんの新連載、更新を楽しみに読んでいるけど、いろいろと考えさせられる。 https://t.co/BGvr2BwLTf 約4年前 replyretweetfavorite