1968年の若者を反抗へと駆り立てていたもの

1960年代末、フランスの若者も日本の若者も戦いを続けていた。1968年の「フランス5月革命」と日本の学生運動。それぞれが掲げた「革命」は何を変えることができ、何を変えられなかったのか。若者文化がどのような状況・気分によって支えられたのかを読み解く。

 フランス五月革命での学生たちの主張のひとつは「ドゴール、やめろ」であった。
 ドゴールは1958年に大統領に就任し、大統領の権限の強い第五共和政を開始し十年、フランスに君臨していた。
 五月革命でしきりに繰り返されていたスローガンに「十年は長すぎる」というのがあった。

 シャルル・ド=ゴールは、1890年生まれ、日本風にいえば明治23年の生まれである。
 フランス救国の英雄である。
 第二次大戦において、フランスはいちおう戦勝国に名を連ねているが、実質は敗戦国に近かった。開戦まもなくナチスドイツの電撃作戦を受け、あっさりと降伏した。フランスの北側はほぼドイツ領とされ、南部にあったヴィシー政権は、ドイツ・イタリアの枢軸国側に消極的な協力を続ける。(枢軸国側の日本は、ほぼ交戦せずにフランス領インドシナへ進駐した)
 そのとき、ドゴールはイギリスに亡命し、亡命政府「自由フランス」を組織した。国外ながらもナチス協力政府以外の政権が存在したため、連合国側が戦争に勝利したあと、ドゴールは「ナチスに協力したことのない正統フランス」の継承者となり、フランスは戦勝国を名乗ることができたのである。(ドゴール一人にその栄誉が集められすぎである、という批判は当時からあったのだが)。
 ドゴールは1945年、栄光のパリ解放後、臨時政府の首席についた。しかし翌年に辞任し、野に下る。そして、アルジェ動乱の収拾からふたたび1958年に大統領に就く。それから十年、強大な権力を握る大統領としてフランスに君臨していた。
 大学生たちの不満はドゴールに向けられた。明治生まれの古い壁を、とにかく叩き壊したかったのだ。

 ただ、五月の騒乱はドゴール政権を揺さぶったが、倒すことはできなかった。
 ドゴールはこの騒擾の翌年、国民投票に敗れて辞任する。五月革命によって倒されたわけではない。
〝五月革命〟は自然発生的に動きだしたため、最初からドゴール打倒を本気で目指していたわけではない。(最初は、検挙された仲間の解放のために動き出しただけである)。
 運動が全フランスを巻き込んだときに、野党政治家と共闘すれば、現政権の打倒は可能だったろうし、次政権へ何らかの影響を与えられたかもしれない。
 しかし学生運動は、そういうことをめざしていない。
 もちろん臨時革命政府を樹立してその首班になろう、などとも考えていない。
 学生集団の中にはそういう考えを持つ者もいたのかもしれないが、それがひとつとしてまとまることはなかった。(既成左翼政党の下部組織は別として)。
 学生たちは〝政治のアマチュア〟であり、またすすんでアマチュアであろうとした。
 プロになると腐敗していくから、そう考えて、彼らはつねに批判者であろうとしている。
 学生らしい純粋な思考だとおもう。
 しかし、現実の政治からみれば、ノイズでしかない。
 学生運動が、政治闘争ではなく「お祭り」だったと私がおもうのは、そこである。
 広範囲の人間を煽動しても、共闘しない。自分たちの都合で進むばかりである。
 「季節はずれで場違いの学園祭」の感じがする。
 だから、見ているぶんには、なんだか楽しそうだった。
 下の世代から見ていて、おれたちもあの年齢になれば、ああいう祭りに参加できるのかな、とすこし浮ついて気持ちで眺めていた。彼らがいま仲間に入れてくれるとはおもえなかったので、待つしかなかった。(おおよそ十歳下なので、小学校高学年から中学に入る世代である)。
 大学に入ると、そんなお祭りはとっくに終わっていた。そしてそういう祭りは二度と来ないと、誰に教わらなくてもすぐにわかった。

 政権を倒してそのあとの政権の一角を担う覚悟がないなら、学生闘争の目的は「大人を困らせてやろう」というレベルのものとなる。
 大人とは、大学教授であり、官僚であり、政治家であり、デモ現場で対峙する警察隊である。
 彼らに反抗して、彼らを困らせれば、それでひとつの前進である。大統領を困らせて、政権を投げ出せば、若者の勝利となる。
 いまの若者が「自分のやりたいことを見つけたい」と言っているのと、ほとんど同じ感覚で「社会を変えるんだ。革命だ」と言っていただけである。
 予定どおりにデモ行進していれば無事に終わるのに、警察隊を見つけると、つっかかっていった。それが学生の騒擾である。政治的な行動とは言えない。ただ、暴れたくて暴れているだけである。社会の何かが変われば楽しい。そういう行動である。
 ひとびとが暮らす街路を、通常の場所ではなくしてしまう。祝祭空間を作りだす。
 そういうことを繰り返していた。楽しそうである。でも、迷惑だと感じる人たちもたくさんいる。

 大森実というジャーナリストが、ちょうどこの時期のパリにいた。
 国際ジャーナリストである。南北ベトナムとアメリカの代表がパリで和平へ向けての話し合いを持つことになったのだ。〝パリ会談〟である。その取材に入った大森実は、このパリの学生騒乱に遭遇してしまった。
 「いくどかフランスを訪れたことがあるエトランジェ(外来者)は、この年の五月ほど暗く陰惨だったパリの空を見たことはあるまい。筆者もパリに幻滅感を抱かされたエトランジェの一人であった。カルチェ・ラタンの学生暴動に端を発してゼネストに入ったパリは「ネガティブ革命」というものの恐ろしさをいやというほど教えてくれたのである」
 そう大森実は記している。学生にシンパシーを抱いてない者の正直な感想だろう。
 「一九六八年五月の花のパリは〝ゴミと芥の地獄〟と化したのである」
 外来者にはそういう風景がもっとも印象に残ってしまう。
 「ホテルからベトナム和平交渉場へ通うのに汗だくで足が棒のようになり、毎日の食事をとるレストランを探すのに閉口した。真剣にパリ脱出を考えねばならなかったのだが、空港の管制塔が操業をストップしたので、脱出の方法は失われた」
 鉄道も、バスも、タクシーも、レストランも、空港も、ゴミ回収も動かなくなれば、まともな都市生活は送れなくなる。学生が闘い、労働者が連帯した状態であっても、旅人にとってはただ「暗く陰惨なパリ」という印象しか抱けない。
 フランス五月革命も、日本の全共闘の戦いも、またアメリカの反戦運動も、ほぼみな同世代の運動である。第二次大戦後にかたまって生まれた世代が担っていた。1946年以降に集中して生まれた世代は圧倒的に人数が多く、そのため、社会制度が対応しきれなかった。この世代は常に社会にいろんな影響を与え続けている。
 大学生は、いつも時間を持て余している。大量の大学生が、一挙に時間を持て余すと、すごいエネルギーがたまる。それが「学生運動」という形で一気に放出されたのである。

 この世代の親は、みな戦争を体験している。親だけではなく、少し年上の世代にはみな戦争の記憶がある。彼らが子供だった時代は、戦争の記憶ばかり語られたはずである。
 私はこのベビーブーマー世代の十歳下であるが、その世代でもそう感じた。大人は何かというと戦争の話しかしなかった。
 戦争はだめだとか、やらないほうがいいとか、そういう観念的な話ではない。そういう理屈は学校でしか聞かなかった。(しかも、きっちりつまらなかった)。
 もっと日常生活のレベルで戦争の話が出た。それこそ箸の上げ下げに、食器の片付けに、ものの好き嫌いを言うたびに、やれ「戦時中はそんなことは」「戦後すぐの大変さに比べれば」と言われた。なにかにつけである。
 「説教するなら、戦時中の話なしで、ストレートに怒って欲しい」とよくおもった。

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Singulith >「そこには「戦争体験に負けない何か語れる別のものが欲しい」という熱が底にあったとおもう。  60年代末の学生運動は「戦争体験世代に対する反抗」であったし、それだけのことだった」  https://t.co/RouQ20ofVM 2年弱前 replyretweetfavorite

Singulith 今のブサヨは、戦争がしたくてたまらないのだろう。 それが沖縄住人、警官や米軍人への暴力犯罪として発現している。  >「二十歳になって〝自分たちの勝手な戦争ごっこ〟の形で爆発した、と見られなくもない。それが学生運動のある側面だ」  https://t.co/RouQ20ofVM 2年弱前 replyretweetfavorite

Singulith >「 だからその下の世代は(1946年以降に生まれたすべての若者は)、戦争体験者の話に生理的な反抗心を抱く。経験してない話をされてもどうしようもない。でもそういう話しかされない。  敢然と拒否したくなる」  https://t.co/RouQ20ofVM 2年弱前 replyretweetfavorite

Singulith >「戦争の話をする人たちは、口では「大変だった」と言いつつ、それでいて何か懐かしげで、一抹の楽しさを漂わせる 〜そのイベントに参加できなかったものを羨ましがらせるような口調があった」  https://t.co/RouQ20ofVM 2年弱前 replyretweetfavorite