「Aだ!」と言った後に「Aとは言っていない」
タイトルを紹介するのも気が引けるのだが、長谷川豊が書いたブログ「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」が非難を浴びた。全国腎臓病協議会から抗議文が届いても、長谷川はその会長に対して「私は『現実的な』観点から『切るべきは切らないと、守るべき人を守れない』という考え方ですが、『誰であっても救いたい』というあなた方のような思いの人たちも絶対にいるべきだとは思う。私は今の時代にもうあっていないと思うが。」などとブログに書き込んでおり、目も当てられない。テレビ番組の降板が相次いで決まってからは、残された番組で謝罪をしているが、一連のブログについて削除するつもりはないようだ。
今回の非難について、オレの真意が伝わっていない曲解ばかりだと繰り返していたが、「そのまま殺せ!」と掲げた後に、「『長谷川が透析患者は死ねと言ってる!』などと乱暴なこと拡散するとまでは夢にも思っていなかったのです」と弁明している。「Aだ!」と言った後に「Aとは言っていない」との弁明。日頃から、スイカを食べた直後に「今食べたのはメロンだ!」と喚いたり、「渋谷までよろしく」と告げたタクシーが渋谷に向かうと「なんで新宿じゃねぇんだよ」と怒鳴り散らしているのだろうか。「アナウンサーとして磨いた自分の日本語の持つ力を信じよう!」(長谷川豊『いつも一言多いあのアナウンサーのちょっとめったに聞けない話』)という信念を未だにお持ちかどうか分からないけれど、こういう話者が「日本語の持つ力」などと言うのを放置していると、日本語の持つ力がすこぶる弱まるので困る。彼は「全員のことを言っているわけでは決してありません」と書いていると言い訳するが、あまりに雑だ。
過激な言説の土台がグラついている
今回のことを通して、私はこう思う。「傷ついている。苦しんでいる。そんな人たちの心の傷を、あえてこじ開けなおして、塩を塗り込むようなマネをすることが本当に正しいのか?」と。あるいは「この人たちの気持ちを、もう一度苦しめる必要がある? すでに十分傷ついてる人じゃないか」と。私はこう思う、の後に続けた2つのカッコは、実は私の言葉ではなく、入社して2~3年目の長谷川豊が、事件や事故にあった当事者に取材して感じた想いである(前出書より引用)。日本語の持つ力を信じるご自分のブログに向かう苦言の大半を戯言と片付けているようなので、ご自分の日本語から抽出して投じてみたわけだが、この意見はどのようにお感じになるのだろうか。まさか、昔の自分の考えまで「夢にも思っていなかった」で済ますのだろうか。
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