初デートが五寸釘デスマッチな男と負け犬が大好きな男

cakes で大好評を博した小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』でお馴染みの燃え殻さんと『さらば雑司ヶ谷』『タモリ論』などで知られる作家の樋口毅宏さん。お二人はプロレス好きの友人同士。実は、燃え殻さんにcakesで書くことを勧めたのも、樋口さんだったそうです。今回は、プロレスをモチーフにした小説『太陽がいっぱい』を上梓し「引退宣言」をした樋口毅宏さんに、燃え殻さんが熱いエールをおくります。

前田と高田を想って涙した仲

— 樋口毅宏さんと燃え殻さんは、そもそも直接の交流があるんですよね。お二人はどういったきっかけで知り合ったんでしょうか?

樋口毅宏(以下、樋口) もともとTwitterでフォローしあってたんですけど、初めて会ったのは2年前かな。

燃え殻 スピードワゴンの小沢さんが主催した飲み会で、サプライズで樋口さんに初対面したんですよ。

樋口 そうだっけ?

燃え殻 小沢さんとはTwitterのDMで連絡をいただいて直接お会いするようになったんですけど、「好きな作家は誰?」と聞かれた時、「樋口毅宏と中島らもが好きです。樋口さんとは1度お会いしてみたい」と答えたことがあって。小沢さんが「俺も樋口さんが好きなんだ」というやりとりをしたんです。ある日、小沢さんに誘われて飲みに行ったら「今日は燃え殻くんの好きな人が来てるから」と言われて、そこに樋口さんがいたんですよ。

樋口 それからプロレスやライブを一緒に観に行くようになって。

燃え殻 ザ・グレート・カブキの店に行ったこともありましたね。
※ザ・グレート・カブキ:80年代、アメリカを主戦場にヌンチャクを操り毒霧を吹くペイントレスラーとして活躍。全日本プロレスに参戦すると、日本でもカブキブームが起きる。その後、SWSや新日本プロレスに参戦。一時は引退していたが、68歳のいまも現役のレスラーである。

樋口 そうそう飯田橋の店ね(現在は小石川に移転)。カブキさんが厨房にいて、カレーちゃんこが美味しくてね。一段落した後僕たちの間に座って「何でも訊いて下さい」って言うから質問攻めにしちゃった。

燃え殻 あとは三軒茶屋でよく飲んで、小沢健二と小山田圭吾がフリッパーズギターを再結成して、前田日明と高田延彦に仲良くなってくれたら思い残すことはないって毎回のように話してた。どんな権力があれば仲良くさせられるんだろうって最後は2人して泣くという(笑)。
※前田日明と高田延彦:兄弟のように仲が良かった2人だが、第2次UWF解散後は袂を分かち、前田のリングスと高田のUWFインターナショナルは対立していた。高田が最初のヒクソン戦を迎える頃、再び距離が近くなるも、ヒクソンとの再戦、PRIDEブームから再び距離が出来、いまだ絶縁状態である。

樋口 男2人で泣きあって、お店の人は「別れ話でもしてるんだろうな」と思っただろうね(笑)。だから、『太陽がいっぱい』の中の『最強のいちばん長い日』は燃え殻さんのために書いたんですよ。

燃え殻 送っていただいた本に「あなたのために書きました」と書き添えてくれたのがうれしかったです。

おもしろさだけじゃなくて哀愁や可笑しみがつまっている

— 燃え殻さんのツイートが話題になった当初、匿名アカウントということもあって、はじめは「この人、実在してないんじゃないか」とも思ってました。ある意味、プロレスの虚実ないまぜな部分と通じるものがあるのかなって。

燃え殻 テレビ美術制作の仕事が当時は退屈で、辞めるか新規事業を立ち上げるか社長に相談してたんです。それで結局、新規事業をはじめることになったんです。だけど、会社に戻らない日が続いたので、社長から言われて日報を書くようになって。それがいまのTwitterなんですよ。

樋口 燃え殻さんのアカウントをはじめて知った時は、140字の中に面白さだけじゃなくて哀愁や可笑しみがあって、なんて文章が上手いんだろうと驚きましたよ。「普段から文章で生計を立てている人が書いてるんでしょう?」と思ってましたから。

燃え殻 匿名希望のハガキ職人みたいな感覚で書いていたTwitterなのに、大好きな作家さんにフォローしてもらえたのがうれしくて。しかも、樋口さんから紹介していただいてcakesで長い文章を書くことになるとは思ってもみなかったですよ。

— 愛読者である燃え殻さんが思う樋口さんの小説の魅力は?

燃え殻 僕も同じような思想や考え方を持ってるはずなんだけど、自分にはできないことを小説でやってのけるところです。作品を読むと「俺も思ってたよ!」と言いたくなる。とくに『雑司ヶ谷R.I.P.』はそんな作品でした。当たり前だけど、僕には書けないんですよ。

樋口 燃え殻さんのcakes連載もすごい反響だったでしょう?

燃え殻 ありがとうございます。一番うれしかったのが、18歳の女の子からの「まだ経験したことはないけど、懐かしいと感じました」という反応でした。そう思わせる作品を書いている樋口さんだから、僕は会いたいと思ったんです。

樋口 燃え殻さん、小説を書いてもやっぱり天才だったね。140字という制約の中で凄いのか、むしろ140字が足枷になっていないか、後者だろうと思ってcakesを紹介したんだけど、「ハイやっぱり天才でした」って。路上でアコギ一本でやってるけどお客さんが混みすぎだから、cakesという最高のホールを借りて環境整えて、いま一曲あたり一分ぐらいと短いからもうちょっと長くしたほうが、より多くのオーディエンスに届くと思ったから。他の人のことはよく見えるんだよなあ(苦笑)。

— 樋口さんはなぜ『太陽がいっぱい』を書こうと思ったのでしょうか?

樋口 小説家の西加奈子さんはプロレスが大好きで、『ふくわらい』というレスラーが登場する小説などで、プロレス会場に女性ファンが急増したことに多大な貢献をしてるんです。昨年、その西さんが『サラバ!』で直木賞を受賞した時、「プロレスに感謝」とおっしゃったんですよ。会見の全文を読んだわけでも映像を観たわけでもないんですけど、確かにプロレスには感謝もあるけど、憐憫も絶望もバカバカしさもあるよなぁと思って、『太陽がいっぱい』を書き始めました。……しかしどういう当てつけなんだ。自分でも酷いなと思う。もちろん西加奈子さんは新日のメインイベンターで、僕はインディー団体のうだつが上がらないベテラン選手なんですけどね。

燃え殻 樋口さんの小説は、『民宿雪国』のようなベースにある史実が跳ねる作品がとくにおもしろくて。『太陽がいっぱい』でも、その飛躍が展開されているんですよ。

どうしてもレスラーに自分の人生を投影してしまう

—『太陽がいっぱい』の軸になっていた昭和のプロレスにどんな思い出がありますか?

燃え殻 当時は学校でも共通の話題のひとつとしてプロレスがあって。前田日明はウルトラマンになりたかったけど、僕らは前田日明になりたかったんですよ。

樋口 いや~、とてもじゃないけど前田になれるとは思わなかったよ。この世代の男で前田に憧れなかった男なんていないもん。でも、強さへの畏怖はあったな~。

燃え殻 いまのプロレスラーは優しくて強くて身近な存在だけど、当時はいまより怖さがあったかもしれない。僕がはじめて殴られたのは親でも学校の不良でもなく、テリー・ゴディでしたから。会場は東京体育館でした。
※テリー・ゴディ:1983年8月に全日本プロレスに初来日し、必殺技のパワーボムで頭角を表す。1990年6月には外国人として初の三冠ヘビー級王座獲得。コンディション悪化で1994年7月以降は全日参戦が途絶える。95年からIWA・JAPANなどで試合をするも、01年7月に40歳の若さで亡くなった。

樋口 SWSに大量移籍された全日本プロレスの東京体育館? メインが馬場・鶴田VSゴディ・ウィリアムスという、現在では全員が鬼籍に入ってる試合? 僕も会場にいたよ!
※SWS:メガネスーパーがバックアップした団体で、SWSとはスーパー・ワールド・スポーツの略。選手は引き抜きによって集められ、相撲を参考に部屋別制度をとっていた。WWFや藤原組との提携、北尾光司の入団といった話題性もあったが、約2年で解散になってしまった。
※馬場・鶴田VSゴディ・ウィリアムス:SWSに天龍をはじめとした選手を引き抜かれた全日本プロレスは、東京体育館で大会を開催するも寂しい客入りとなった。そのメインイベントは前線から退いていた馬場が体を張って戦ったものの、コーナーのロープに背中を強打してダウン。試合続行不可能からと思いきやパワーボムでフォール負け。しかしここから全日の逆襲がはじまった。

燃え殻 そうです! そうです! タイガーマスクが覆面を脱いで三沢光晴になった大会ですよ。
※タイガーマスクが覆面を脱いで三沢光晴:谷津・冬木組VSタイガーマスク・川田組の試合の途中、2代目タイガーマスクが川田にマスクを脱がせ、その正体である三沢が冬木をフォール。三沢は天龍離脱後の全日のエースとなった。

樋口 そうそう。1990年5月14日だよね。

—日付も覚えてるんですか(笑)。

樋口 日本史の年号は覚えられなくても、プロレス史に関しては数字も頭に入ってきちゃうものなんですよ。10月9日といえば新日本VSUインターを連想するし、8月8日になれば猪木VS藤波戦を思い出す。60分フルタイムドローだったなぁとか。
※新日本VSUインター:遺恨を深めていた両団体だったが、長州の鶴の一声で東京ドームでの全面対抗戦が決定。6万7千人の観衆を集めて、メインイベントでは武藤敬司が高田延彦を足四の字固めで制した。
※猪木VS藤波戦:1988年、長州や前田が抜けた新日本で行われた師弟対決。「この試合に引退を懸けているのでは」と噂されていた猪木と、「飛龍革命」を狙う藤波による一騎打ちはコブラツイストの応酬の末、60分時間切れでゴングが鳴らされた。

燃え殻 長州が猪木を肩車してたなぁって。

—燃え殻さん、けっこう実際に観戦されてるんですね。

燃え殻 SWSの道場マッチも観に行ってましたよ。

樋口 ワンコインの!?

燃え殻 そうそう。500円の! そこで北尾VS冬木も目撃してますから。

樋口 それはいいな。至近距離で北尾を見たんだ。

燃え殻 あとは高野拳磁と宇宙パワーの試合をデートで観に行って。
※高野拳磁と宇宙パワーの戦い:新日、全日、SWSで戦ってきた未完の大器である高野拳磁。PWCを旗揚げするも、所属選手の離脱で拳磁のみに。だが、自らを「野良犬」と謳い、宇宙パワーと戦いはじめると人気が爆発。CMやバラエティ番組にも出演するようになった。

樋口 デートで宇宙パワー? その彼女は聖母なの? それとも別れたくて連れて行ったの?

燃え殻 どちらでもないです!(笑) 当時の彼女とはじめてデートに行ったのが、小田原で行われたWINGの松永光弘VSレザーフェイスの五寸釘デスマッチで。2人でお弁当を食べながら釘板が設置されていくところを眺めてました。トイレに行ったらレザーフェイスと並んですることになっちゃって。
※WINGの松永光弘VSレザーフェイスの五寸釘デスマッチ:1993年5月5日に開催。過去に猪木と上田馬之助の間で行われた五寸釘デスマッチは、釘板が設置されたリング下に落ちることはなかったが、この一戦は松永が落下して負けるという壮絶な結末となった。

樋口 地方プロレスあるあるだよね。宮城県までみちのくプロレスを観に行った時、全身忍者コスプレの中島半蔵が大のほうに入ってきて、気まずいと思ったもん。その彼女はプロレスが好きだったの?
※みちのくプロレス:1992年10月1日にザ・グレート・サスケが立ち上げた団体で、東北地方を中心に興行するスタイルをとっている。※中島半蔵:コーナーポストでの倒立を得意とする忍者スタイルの選手。2001年にHANZOに改名し、2003年にプロレス団体「レッスルゲート」を立ち上げた。

燃え殻 彼女は筋肉少女帯の大槻ケンヂさんのファンだったんです。大槻ケンヂさんがプロレス好きだから、自分もプロレスを好きにならなきゃいけないみたいな感じでしたね。

—『太陽がいっぱい』に描かれているのは、勝ち組のレスラーばかりじゃないですね。

樋口 言われるとそうかもしれない。負け犬が好きだったんだなぁ。自分がそうだからだと思う。

燃え殻 UWFインターで『最強』だった高田延彦がヒクソン・グレイシーに負けた時は、これからの人生はどうなっちゃうんだろうと心配しましたよ。当時の僕は無職だったので「自分のことを心配をしろ」っていう話なんですけど(笑)。どうしてもレスラーに自分の人生を投影してしまうんですよ。

樋口 だから前田と高田には仲直りしてほしいんだよね。

燃え殻 そうそう、そういえば作家を引退するって話をしてましたけど、本当ですか? Twitterもやめちゃってるし。

次回「樋口毅宏、燃え殻に説教される」につづく

樋口毅宏引退作品?――これが最強のプロレス文学です。

太陽がいっぱい

樋口 毅宏
扶桑社
2016-09-02

この連載について

大事なことは全部プロレスに教わった—樋口毅宏×燃え殻

燃え殻 /樋口毅宏

cakes で大好評を博した小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』でお馴染みの燃え殻さんと『さらば雑司ヶ谷』や『タモリ論』などで知られる作家の樋口毅宏さん。お二人はプロレス好きの友人同士。実は、燃え殻さんにcakesで書くことを勧...もっと読む

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コメント

lost_zero_ 滅茶苦茶熱く面白い内容でした。 約1年前 replyretweetfavorite

wtbw プロレス好きな男が大好きなのでヤバい記事だ 約1年前 replyretweetfavorite