オフィスでのシーンを想定してポージングしている広告モデルたち
みなさんこんにちは、なでksジャパンの長女、二宮なゆみです。
いつも何かしらにアイドル性を見出している「なでksジャパンのアイドル桜梅桃李」ですが、今回はちょっと方向性を変えてみたいと思います。
まず、なでksジャパンのメンバーのうち私と、三女・桃百花と、四女・麗奈の職業が「モデル」なんですけど、モデルの仕事ってどんなものを想像しますか? 何の雑誌に出ているのかな? そう思う人が多いかもしれません。モデルの仕事してる写真とか見たことないんだけど、本当にモデルなの? って思っている人もいるかもしれませんね。
私たちは雑誌モデルやショーモデル、読者モデルなど、数あるモデルの仕事のなかで、「広告モデル」という種類に属しています。広告モデルと聞いてもピンと来ませんよね? 例えば、あなたが靴を磨くときに、床に敷いた紙の上に私たちはいるかもしれない。ひょっとしたらあなたの家のポストの中にも私たちがいて、ゴミ箱にすぐ捨てられているかもしれない。カタログから満面の笑みを向けているのに、あなたは私が手に持っている電化製品に夢中かもしれない。実はみなさんの生活のなかに、私たちはそっと溶け込んでいるんですよ。
そんな決して華やかではない、けれどみんな誇りを持って続けている広告モデルの仕事を、ぶっちゃけトーク込みで紹介できたらなと思います。3人で話すのは心細いので、今回はスペシャルゲストに私たちの友達でもあり広告モデル仲間、モンハン仲間でもある2人を招いてみました。
みんなどうやって広告モデルになったのか?
二宮なゆみ(以下、二宮) まずはみんなどうやってモデルを始めたのか聞きたいんだけど、初めましての二人から行こうか。自己紹介も兼ねてお願いします。
ネメシス ネメシスです。年齢は29歳だから、もちゃん(小口桃百花)と同い年かな。私はいわゆるサロモ※から。美容師さんに声をかけられて高校のときぐらいからサロモ始めて……。
※サロモ サロンモデルの略。ヘアサロンなどで使うヘアカタログや、雑誌のヘアページ専門のモデル。
小口桃百花(以下、小口) うわぁ! サロモ! 東京の子って感じだね!
二宮 それってお金もらえるの?
ネメシス 赤文字系雑誌※で5000円、ヘアカタログの雑誌で3000円だったかな。もちろんそれじゃ食べていけないんだけど、サロモを続けていたらスカウトされた。当時エビちゃんが全盛期で、そこが赤文字系が強い事務所だったからいいなと思って入って。そしたらいきなりフリーペーパーの仕事が来て、今まで赤文字系のサロンモデルやってたのに、フリーペーパーに載ってる自分を誰かに見られたら恥ずかしいなって断ったりしてた。その頃が多分人生で一番調子に乗ってた時だと思うんだけど(笑)。
※赤文字系雑誌 JJ、ViVi、Ray、CanCamの4誌を指す。題字が赤系色である事からそう呼ばれるようになった。
T山 フリーペーパーの仕事断るなんてもったいない……。
二宮 サロモより絶対ギャラいいのにね。
T山 サロモやってる人なんて周りにおらんかった。ホットペッパーに載ってるっていうだけで凄いってなって、みんなそれ切り抜いてプリ帳とかに貼っとったよ。こんな人みたいになりたいなって。
日笠麗奈(以下、日笠) そういえばT山がどうやってモデルになったか知らないや。
T山 あ、T山です。28歳。大阪にある専門学校で、ネイル科とかブライダル科とか特殊メイク科とかいっぱいある中で、モデルタレント科っていうコースもあって、そこに1年通った。
小口 そうだったんだ! そこでは主に何を教えてくれるの?
T山 ポージングとかウォーキング。あとバレエとか。でも教えてくれる先生が一昔前の人やから、古いポージング教えられた。ウォーキングも古かった。先生が審査員役でオーディデョンのためのレッスンしたり。
日笠 すごい! そんなのもあるんだ!
T山 実は学生のときに梅田でスカウトされたんやけど、もらった名刺を調べたら、なんか微妙で行くのが怖くて。モデルにはなりたかったら、もう学校へ行く発想しかなかった。モデルの専門学校はちょっと遊びみたいな感覚で通ってたけど、一年間の集大成みたいなオーディションで、大阪のモデル事務所と東京のモデル事務所の何社かが声かけてくれて。
小口 札あげるやつ?
日笠 スター誕生じゃないんだから!
T山 あとで何社から声かかりましたみたいなのを教えてもらえる感じ。そしたら東京の事務所はほんまに小さいところからしか声かけてもらえなくて。だからまずは大阪の大きい事務所に入って、何年か経って上京ってなった時に先生オススメの今の事務所に入った。
華やかなりしティーンズモデルはなぜ広告モデルに?
二宮 じゃあ次、ティーンズモデル上がりのなでksの二人。この子たちはまず、同世代が憧れる雑誌の仕事から始めてるわけだから、そこがもう違うんだよ、私たちと。
日笠 私のモデルデビューは中1の夏。『ニコラ』※っていうティーン雑誌のモデルオーディションを受けて。もちゃんは私より1年前に受かってるよ。
※ニコラ 読者世代に絶大な影響力を持つローティーン向けの人気ファッション誌。
小口 確か2001年だったかな。でも私はモデルになりたいっていうわけじゃなくて、地元が凄い田舎だから中学の時にやっと本屋ができて、そこで雑誌見たら“こんな世界があるんだ。じゃあ思い出作りに応募してみようかな”って思って。
二宮 二人とも応募者5、6000人の中から選ばれてるんだよね。めちゃくちゃすごいじゃんそれ。同世代の子はもれなく憧れてるわけでしょ。とんでもないオーディション受かってるんだね。
小口 当時の副編集長の好みで、顔が丸い子が受かりやすかったんだよ!(くわしくは過去の桜梅桃李「できるならアイドルに戻りたい——元アイドル対談」をお読みください)
日笠 その頃は全部、ティーン雑誌っていう存在自体がバブルみたいな感じで、その中でも『ニコラ』はモデルのことをすごく考えてる雑誌だったよ。高校2年に上る前に絶対卒業だから。今思えば進路を決められる猶予があと2年あるって大事だよね。
小口 だからお母さんも応募するの許してくれたんだと思う。まあ結局私はニコラ卒業して路頭に迷ったけど。
二宮 そこで他に夢がある子はそっちに向かうし、勉強がんばる子はがんばる。それで麗奈ともちゃんは華やかな雑誌モデルから、広告モデルの道を選んだわけでしょ?
日笠 そう。なんせ新垣結衣が同期だからね。バーン! って売れるかバッサリ辞めるかの二択しかないと思われていた中、自然と広告モデルになった。
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