あのこは貴族

どんなところへお嫁に行きたいんだ?

【第2回】
2014年元旦。東京生まれ・東京育ちの華子は、家族とお正月の会食中。
20代後半の華子は、家族が集まるたびに結婚へのプレッシャーを受けていた。
そして憂鬱に拍車をかけるように、実は失恋の真っただ中にいて――。
気鋭の作家・山内マリコが、アラサー女子たちの葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。


 麻友子は赤坂で美容皮膚科医をしているだけあって、そろそろアラフォーというのに肌がピンと張って滑らかである。くすみもなく肌のトーンが明るくて、目鼻立ちの派手なかなりの美人。派手なのは外見だけではない。離婚したときにもらった六本木のマンションに住み、毎年のように車を買い替えるなど、生活態度はあからさまにバブリーだ。ベンツやBMWやレクサスを乗り継いで、いまはアルファロメオのミトに乗っているというが、車に興味のない華子にはまるでピンとこなかった。

 三人で他愛もない会話をしていると、両親と長姉一家がつづけて到着した。
 華子の父と母、いちばん上の姉の香津子かづこと、夫のしん、その息子の晃太こうた。晃太は慶應義塾中等部のブレザーを着ていた。
 家族全員が席についたのを見て、祖母は仲居に指示を出す。

「はじめてちょうだい」

 扇の蒔絵がほどこされた椀物の蓋を静かに開けると、ふわりとした湯気とともに、なんともいえない蟹の甘い香りが鼻腔をくすぐった。中にはとろみのある出汁でほっくりと煮た香箱蟹が盛られ、「わぁ~っ」とめいめいから歓声が湧く。

「あぁ嬉しい。あたし香箱蟹がいちばん好きなの。まだいただけるのねぇ」

 長女の香津子が一際うっとりした声を上げる。香津子は父譲りのすっきりした和風な顔立ちで、背筋がすっと伸びて仕草も美しく、四十二歳という年齢をまるで感じさせない。華子も蟹のなかでは香箱が特別好きで、外子といわれる茶色いつぶつぶの卵を箸でつまむと、ひょいと小さな口元へ運んだ。

「香箱蟹って、いつまで獲れるもんなの?」

 麻友子の言葉に、仲居がすぐに反応する。

「香箱は漁期が大変短いので、十一月から十二月までが旬でございます。こちらの香箱は年末に水揚げされたもので、この冬最後のものとなっております。どうぞ味わってお召し上がりください」

 稀少なものだとわかるとみんな一層喜んで、美味しい美味しいと口々に言う。榛原家の面々が一堂に会するのは、年に一度のこの日だけというのに、いつもその会話の多くは、料理の感想で埋め尽くされた。この食材はなんだろう、この味はどこそこで食べたものに似ている、これはどうやって作るんだろう。それから、最近食べた美味しいものの話題へと移る。麻布に会員制の焼肉屋があって、そこが美味しかったと麻友子が言えば、香津子は恵比寿に新しくできたビストロがおすすめと言う。そういう話の中にときたま、それぞれの近況が混じるという具合。

 ひとしきり会話が弾んだところで、香津子の息子である晃太に、みんなからお年玉が渡された。といっても香津子はお金に厳しく息子を躾けているため、お年玉の額は上限一万円にしてほしいとあらかじめ言われていた。もしそれ以上渡したければ、親の自分が息子に代わって貯金しておきます、というやり方である。本当なら家族の用事に顔を出すのが億劫な年頃であるのに、晃太はここでもらえる数万円のために、渋々つき合っているのだった。

 祖母の真向かいに座っている香津子が、
「晃太、サッカー部のキャプテンになったのよ」
 となりに座る息子の背中をさすりながら、誇らしげに言った。晃太は今年、中学三年生になる。

「すごい、才能あるんじゃない? Jリーガー目指しなよ」
 麻友子が適当なことを言っておだてると、

「ほら、ラグビーよりサッカーの方が向いてんだよ」
 晃太は父親に、睨むような視線を飛ばして言った。

「ラグビーはじめるのは高校からでも遅くないぞ」

 向こうどなりに座る父親の真は、ラグビー経験者らしく胸板と肩のラインががっしりと厚い。商社に勤めるようになってからはもっぱらゴルフで、冬だというのに肌は浅黒かった。

「やだよ」

 晃太は舌打ちでもする勢いで言う。たしかに晃太は真に比べると、ずっと線が細く、ラグビー向きの体形ではない。身長はひょろりと高く顔も小さくて、涼しげな目元が香津子にそっくりだ。

「晃太、わざわざ制服着てきたの?」
 麻友子に茶化されると、

基準服・・・ね」

 思春期らしく吐き捨てるみたいな言い方でこたえ、みんなの笑いを誘った。慶應の中等部に制服はないが、食事のあとには家族写真の撮影が控えている。それで母親の香津子に言われ、わざわざグレーの式典用ブレザーを着ているのだ。

「そういえばせっかくのお正月なのに、晴れ着を着てくるような人もそんなにいないのねぇ」と香津子は残念がる。

「毛皮はちらほらいたけどね。おばあちゃまも昔は毛皮、よく着てたのに」と麻友子。

 その言葉は祖母の耳には届かなかったのか、顔も上げず料理を味わうことに夢中だ。

「景気回復なんて言ってるけど全然ダメね。ラウンジにいる人たちも、ユニクロにいるのと変わんない格好じゃない」と香津子は一蹴した。

「姉さん、ユニクロなんか行くの?」
 麻友子につっこまれ、

「そりゃ行くわよ」
 香津子はくすくす笑う。

 ここで父の宗郎むねおが景気に話題を移し、アベノミクスでまだまだ株価は上がるだろうと講釈をはじめた。宗郎は松濤で整形外科医院を代々経営する開業医である。株の動向にはそれなりに目を光らせているものの、軽々しく儲け話に乗る人を遠巻きに眺めており、表立ってお金の話をすることはない。が、当然それは大きな関心ごとの一つであった。祖母と香津子の夫の真も加わって資産運用や祖父が残した土地の話なども持ち出されるなか、華子は黙々と箸を動かしている。

 同じく退屈したのか母の京子きょうこが、

「でもほんと、ここでお正月のお食事をするようになってから楽ねぇ」
 祖父に悪いと思いつつ本音をこぼすように、ふふふと忍び笑いした。

 祖父が生きていたころは、正月ともなると正装して広尾の家に集まり、お節やお雑煮をいただくのが習わしだった。祖母は手まめなたちだから、門松から繭玉飾り、柳箸の箸袋にいたるまで手づくりしていたし、家中に趣向を凝らしたお花が活けられて実に華やかだった。

 元日当日、祖母が吉祥文様の帯の上に結んだ真っ白いエプロンを着けたり外したりしながら、次から次へとお年始の挨拶に来る人の応対をしていた様子は、華子もかすかに憶えている。ガスのストーブで暖められた座敷の床の間に、でんと存在感たっぷりに飾られた鏡餅をしげしげ見ていた記憶もあるし、いつになく忙しそうにスリッパをぱたぱたさせるお手伝いさんの、タイトスカートを穿いた大きなお尻なんかもなぜかよく憶えていて、みんなが正月特有のかすかな緊張感を漂わせているのをよそに、華子はなにをしても許される末の孫娘として、家のあちこちに主役気取りで顔を出しては、歓待を受けて喜んでいた。

 祖父はお酒が入ると、まだ子供の華子の頭を大きな手のひらで撫でながら、「おじいちゃんが華子にいい人を見つけてやるからな」と言った。

 華子の父と母を縁組みしたのもこの祖父である。祖父の時代は、娘の結婚を家長が世話することがごく自然だったようで、だからこそ晩年の祖父は当たり前のように、華子にこうたずねたのだった。

「華子はどんなところへお嫁に行きたいんだ?」

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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コメント

jisama 東京カレンダーみたいな遥か雲の上のことのように読めました。 そりゃ貴族ですな。まだ戦国ではないし安全。 3年弱前 replyretweetfavorite

r_mikasayama 例の東京出身女性対談の記憶もフレッシュだから…というわけでもないけど、すんごくおもしろい。→ 3年弱前 replyretweetfavorite