笑福亭鶴瓶の人生を紐解くと、そこには常に「ケンカ」がある。
余興に呼ばれた営業先の社長とは大ゲンカ。音楽イベントの司会を務めれば、出演者のバンドマンの態度に怒り、殴りかかってしまう。スタッフと意見が合わず番組を降板したのも1度や2度ではない。
スケベで柔和そうな風貌とは裏腹に、ことの外ケンカっ早いのだ。
だがケンカによって、芸人人生を切り開いていったようにも見える。
「鶴瓶」という芸人を形作るために必要なもののひとつがケンカだったのだ。
それでは笑福亭鶴瓶は、何に「ケンカ」を売った挙句、いつも柔和に笑ってイジり倒される「鶴瓶」になったのだろうか。
一体、鶴瓶は何と戦っていったのだろうか。
名作ドラマ『赤めだか』の仕掛け人
二宮和也主演でドラマ化された立川談春の『赤めだか』。ビートたけしが立川談志を演じ、ギャラクシー賞も受賞した。
笑福亭鶴瓶はこのドラマに「ナビゲーター」として本編の前後に登場する。だが、鶴瓶がこの作品で果たした役割は実はそれだけではない。
鶴瓶は原作の『赤めだか』を読んでいたく感動し、「これは映画化すべき」と各所に働きかけた。
「談春は絶対にニノや!」
「ビートたけし兄さんが談志になったらええやろうな」
その際、具体的にキャスティング案まで熱弁していた。それがそのまま実現したのだ※1。
ドラマの中で、リリー・フランキー演じる無礼な文芸評論家が二宮扮する談春を叱責し、逆にたけし演じる談志に激昂されるという印象的なシーンがある。
師弟の絆、師匠の愛情を感じさせる重要なシーンだ。
だが、このエピソードは原作の『赤めだか』にはない。これはおそらく、笑福亭鶴瓶の体験したエピソードが元になっている。
無礼なのはどちらか?
それは、1972年、鶴瓶が21歳の頃のことだ。
まだ落語界に入門して数日。師匠から「鶴瓶」と名付けられる前だった。
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