スティーブンソンとウェワの友情
アメリカ南西部に居住していた、ズーニー族のような農耕民族にとって、脅威だったのはアパッチ族やナヴァホ族といった遊牧狩猟民族でした。彼らは中国にとっての匈奴やモンゴル、ローマにとってのフン族やゲルマン民族のようなもので、武勇を振るって農耕民の村落を襲い、財物を略奪することを生業としていました。
一方、南西部をすべて自分たちのものにしたいアメリカにとってもアパッチ族やナヴァホ族は悩みの種。それで、1849年、ウェワが生まれた年に、アメリカはズーニー族と、アパッチ族、ナヴァホ族に対する軍事同盟を結びました。
この同盟のおかげもあって、アメリカはナヴァホ族に1864年勝利をおさめ、彼らを砂漠地帯の居留地に追放します。
しかし、一難さってまた一難。ズーニー族にとっては、狼を追い払うのに虎を呼び込んでしまったようなものでした。代わってアメリカ人がズーニー族の居住地に頻繁に侵入、特にプロテスタントの宣教師の姿を見ることが多くなりました。彼らは"Peace Policy of Grant Administration"に属し、ネイティブアメリカンを保留地に追放するのではなく、クリスチャンに改宗させ、アメリカ人のなかに一体化させることを目的とする人々でした。
彼らとウェワの初めての邂逅は1878年のことで、彼女は30歳になっていました。
人懐っこく、好奇心旺盛な彼女は白人だからといって怖がることなく、積極的に自分から交流していったようです。ミッションスクールを建てに来た牧師夫妻と親しくなり、彼らの二人の娘の世話係になっています。
驚くべきことは、牧師夫妻が彼女の正体にまったく気づかなかったことです。ウェワのことを普通の女性と思いこみ、娘の教育をお願いしています。そして、ミッションスクールが出来上がると、女子寮の寮母まで任せてしまいました。
こうしたことが可能だったのは彼女が本当に女性らしかったからです。所作は優雅で繊細、自分だけでなく周りのものの生活の細かい襞一つ一つまで目の届く感受性を持ち、その心根の底には人間という存在すべてに対する大きな愛が流れていました。
ウェワは元気一杯で台所と洗濯場をきりもりし、寮の生徒たちに家事のあれこれを叩き込みました。
そんな彼女の姿を注意深く見守る一人の女性の姿がありました。
マチルダ・コックス・スティーブンソンというアメリカ初の女性人類学者でした。彼女はミッションスクール建設の手伝いで、牧師と一緒にウェワの村を訪れていたのです。
この頃のウェワについてスティーブンソンはこんな記録を残しています。
「ウェワはこの村で一番かしこく強い人です。男だろうと女だろうと彼女の言葉は絶対で、ウェワが怒ればどんな勇敢な戦士だろうと震えあがります。でも、子供たちからはとても好かれていて、それは、彼女が本当に親切で優しいからです」
スティーブンソンは人種・民族を超えてウェワに好意を持ったようで、たくさんの洗濯物を抱えて毎日大変そうな彼女に石鹸を教えてあげました。するとウェワはみるみる汚れが落ちることに感動。それを使って牧師夫婦や寮の生徒たちの汚れ物だけでなく、報酬を取って近隣の白人の開拓者のものまで洗ってやるようになりました。そうして、ズーニー族で初めて銀貨を稼ぐ女性になったのです。
また、ウェワは大変好奇心が強く、白人の話す英語にも強い関心を持っていました。そこで、スティーブンソンが教えてやると、砂地に水がしみこむように覚えていき、複雑な概念についてまで会話できるようになりました。