6月、私はフィンランドの詩のイベントに出演するため、アーティストのチョーヒカルさんと、現地に2週間ほど滞在した。
詩人として朗読のパフォーマンスを無事に終え、フィンランド語版の詩集の評判も上々だった。けれど、それと裏腹に「これでいいのだろうか?」と私の心は焦っていた。
チョーさんは、現地の人と臆さずコミュニケーションを取り、仕事や出演費の交渉も欠かさない。彼女の様子を目の当たりにして、その積極的な振る舞いにすっかり圧倒されていた。
彼女は異国のイレギュラーな環境であっても、良いパフォーマンスができるよう、常に自分で状況を判断していた。無理なことは「できません」と言い、「こういう形だったら可能です」と代替案を口にする。
コミュニケーションを積極的にとる者は、自分の仕事、ないしは人生にも、真剣にコミットするのだろう。
私ときたら、相手の要求をただ飲み込んで、やり過ごしてしまうのが常だった。自分の意見を主張するより、状況に流された方が楽に思えるからだ。それは人任せ・成り行き任せで生きてきた、私の人生そのものにも深く影響しているように思う。
立ちくらみがした。目の前の他者と向き合い、口を開くこと。そんなささやかな勇気も持てないまま、大人になってしまったなんて——。くらくら。
立ちすくんで仰いだフィンランドの空は、吸い込まれそうな青色だった。
受身による搾取
不甲斐ない自分に焦りを抱えながらも、帰国前日、チョーさんと共にヘルシンキの市街を観光した。せっかくのフィンランド。残り少ない滞在時間を満喫しなければ。
おしゃれな雑貨屋や洋服店、古書店を巡った後、「今日だけは贅沢しよう」と夕飯は、ガイドブックに載っていた老舗レストランへ入る。
黒いスーツのドアマンに緊張しながら上着を預け、私たちはベルベット地のボックス席に落ち着いた。
料理の待ち時間、私は自分の受身な性格を省みながら、「消極的な性格ゆえに、相手に利用された経験」についてチョーさんに話した。
延々と仕事の愚痴話を聞かされたり、一方的な相談役にされてしまったり。私が相手を否定したり、嫌がったりできない、と見越した上で、身勝手な相手に「利用」されているように感じたこと——。
「なるほど。私は逆に、受身の人に『搾取』されているんじゃないか、と思うことがあるんです」
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