風に吹かれて(五木寛之)後編

五木寛之『風に吹かれて』評、前編は石原慎太郎との比較から「娼婦」という存在に固執する五木寛之の姿を明らかにしてきました。ではなぜ五木寛之にとって「娼婦」が重要だったのか。そこには、少年時代の五木寛之が魂に刻んだ残酷な運命がありました。

五木寛之の精神の立脚点

風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ)
風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ)

 五木寛之の魂の秘密には、彼が育った朝鮮半島が深く関わっている。そのことを示すエピソードがある。

 五木は、昭和7年生まれだけを同世代として深く意識していたため、一年違いで昭和8年生まれだと思われていた評論家・江藤淳(本名:江頭淳夫)は、長い間その視野に入ってこなかった。だが、江藤の自死は昭和7年生まれであることを明らかにし、五木は衝撃を受けた。深い交友関係もない江藤だったが、五木に共感しいつも自著を献本していた。そこには江藤の妻・江頭慶子の影響もあった。だが彼女は、昭和9年の生まれなので、五木の世代の視野にまったく入らない。

 おそらくまだ1960年代だろうと思われるが、五木は江頭夫妻と信州の花火大会で遭遇した。そのとき江頭慶子はこう彼に語った。「五木さんのエッセイは、いつも印象ぶかく読ませてもらっています」「なんといっても、五木さんと私はある意味では同期生なんですものね」(『運命の足音』幻冬舎文庫)。五木は彼女が注目したエッセイは『風に吹かれて』だと理解していた。

 二歳下の江頭慶子が同期生のはずがないと思う五木に、彼女はさらに、1945年の冬、現在北朝鮮の平壌(ピョンヤン)の難民収容所に居たことを話した。互いに面識のないまま、13歳の五木と11歳の慶子がそこに居たのだった。彼らはずっとその地で育った。

 五木はなぜ朝鮮で育ったのか。その前に五木が生まれた昭和7年とはどのような年だったかから顧みたい。彼はしばしば、同年作の小津安二郎の映画『生まれてはみたけれど』を引き、昭和7年を暗い時代だったように語る。しかしこの映画はシリアスではあるが総じて喜劇であることからもわかるように、昭和4年(1929年)の世界大恐慌の『大学は出たけれど』という職のない世相はやがて緩和に向かい、昭和9年には軍需景気に沸いた。五木は実は、その時代の日本を知らないのである。彼は生まれてほどなく共に教師だった父母と朝鮮に渡った。あたかも風に吹かれて飛ばされたように。

 彼が「内地」と呼ばれる日本に辿り着いたのは、15歳である。それまで、朝鮮で、支配者の民族である日本人であることを痛感させられる、孤独な少年期を書籍と共に過ごし、遠く内地という「日本」に憧れを持っていた。そのことが彼の精神の立脚点を生涯、日本の外側に置かせることになった。彼の作品の情念に滲み出る、やりきれないほどの大衆性は、単なる大衆迎合ではなく、異国としての祖国への憧れが比喩されている。

 五木少年は朝鮮で何を見たのか。何をその魂に刻んだのか。ここで「娼婦」の意味が浮かび上がる。

35年かけて明かされた母の死の真相

 五木寛之に傾倒したフェミニスト・駒沢喜美は、五木のとの往復書簡『風のホーキにまたがって』(読売新聞社・現在は集英社文庫『女の本音 男の本音』に改題)で、興に乗ったのか少し羽目を外して、彼に娼婦論をこう語ったことがある。

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