想像してください。
いま、あなたは恋人の実家にいます。
目の前には、その恋人が小学生からいままでずっと使っている、勉強机があります。
ひょんなことからあなたは、今日その家でひとりきり。数時間は誰も帰ってきません。
そこを覗き見るなんて、パンドラ感、ダメぜったい感、恩返しのツル裏切る感、非道感はんぱないそれ。
それを目の前に、あなたは、どうしますか?
8年前。当時のわたしは迷わず引き出しをすべて開け、中にあるプリクラや写真をすべて見たあと、元カノからの手紙をみつけ、2時間かけてそれをすべて読んだ後、そこに書かれた住所を、その日のうちに探しに行きました。
“なんでそんなことしたのか?”と問われても、「好きだったから」としか言えないのです。好きだから、すべてを知りたかった。逆に私もそのくらい探索されたい。
この思いの根源はメンヘラ特有のフュージョン(融合)願望。ひとつになりたくて、すべてをさらけ出しあい、そのすべてを受けとめあいたい。
つまりいつだって相手への「みたい!知りたい!踏み込みたい!」が起動してしまう。
それゆえの、メンヘラあるある「彼氏の携帯みる」現象。
今日は、メンヘラ界のマルコ・ポーロこと私があゆんだ日々の、個人的見聞録をお伝えするね。
メンヘラは、出島くんを選んで来航しよう。
まだ見ぬ世界への好奇心に従い、世界中を旅する「冒険家」は、その少年のような思いと行動力を讃えられるのに。
まだ見ぬ彼氏世界への好奇心に従って、元カノとの手紙を読んだり携帯をのぞく「メンヘラ」は(というか私は)最低よばわり!
なんで!?
そんな「彼氏の携帯みるなんて最低」派の言うことはだいたい以下の2つ。
① 他人のプライバシーに勝手に踏みこむの最低!論
②「知らない方がいいこと」もあるんだよ!論