第14回「東レがアップルの国内製造権を獲得する」という仰天プラン

東レは世界の化学繊維界のリーディングカンパニーとして存在してきました。しかし80年代に入り、繊維不況などの時期を経て東レの経営は厳しい時期の真っただ中にあります。80年代には、東レといえども、既存事業に固執すれば、生き残れない時代となると考えられていました。東レの経営陣は、繊維業から総合ハイテク産業へ脱皮するため、新たな成長分野を開拓することが至上命題となっていたのでした。このアップル事業を機会に、脱繊維の糸口を掴むため、東レ取締役の中橋は、羽根田にその青写真を描くことを指示します。その指示には、「東レでアップルの国内製造権を獲得する」という仰天プランも含まれていました。


登場人物たち

スティーブ・ジョブズ 言わずと知れた、アップルコンピューターの創業者。1976年に創業し、1980年に株式上場して2億ドルの資産を手にした。その後、自分がスカウトしたジョン・スカリーにアップルコンピューターを追放されるが、1996年にアップルに復帰。iMac, iPod, iPhone などの革新的プロダクトを発表しアップルを時価総額世界一の企業にする。

水島敏雄  東京で「ESDラボラトリー」という小さな会社を営む。マイコンの技術を応用し、分析、測定のための理化学機器の開発を行うために作った会社で、ESDという名称は、 Electronics Systems Development の頭文字をとっている。東レの研究員として働いていた時代から大型コンピュータや技術計算用のミニコンに通じており、マイクロコンピュータの動向には早くから注目していた。ESDは日本初のアップルコンピューターの代理店となる。

『スティーブズ』

曽田敦彦 構造不況の中、業績が芳しくない東レが、「脱繊維」を掲げ新分野として取り組んできたのが磁気素材の分野だった。ソニーのベータマックス用としてはさらに薄地で耐久性のあるテープ素材の開発が必要で、45歳になる曽田はこのプロジェクトの中心として部下に20名以上の研究員を従えている。地味で根気のいる仕事ではあったが、東レがハイテク新素材メーカーへステップアップする上でこのプロジェクトは重要な意味を持っていた。


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林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ✕スティーブズ外伝

うめ(小沢高広・妹尾朝子) /斎藤 由多加

ふたりのスティーブ、ジョブズとウォズニアックが設立したアップルコンピューターは、1977年4月、サンフランシスコで開催されたウェストコーストコンピュータフェアに出展した。ジョブズがこだわりにこだわったベージュ色の本体の数が足りないので...もっと読む

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コメント

ima_co これ実際にその場にいたら羽根田さんの気持ちが一番わかる気がする。[link] 14回 「東レがアップルの国内製造権を獲得する」という仰天プラン| 約1年前 replyretweetfavorite

ShowGames_shoji 14回 「東レがアップルの国内製造権を獲得する」という仰天プラン|斎藤 由多加 @YootSaito /うめ(小沢高広・妹尾朝子) @ume_nanminchamp https://t.co/xPmZoGm507 J-plusかぁ・・・(´・ω・`) その頃、NECでは! 約1年前 replyretweetfavorite