こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。
幾つかの台風が過ぎ、ほとんど話題にならなかった24時間テレビが終わり、9月に入りました。夏という季節は、不思議と過ぎてしまうとこうも憧れてしまうもののようで。また初夏の雨露光る紫陽花の葉を見てみたいものですが、一年はお預けです。私はあと幾度見ることが出来るでしょうか。
さて、今回はここcakesで連載をしていらっしゃる、文月さんの記事「私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?」についてお話ししたいと思います。
記事の内容を簡単に説明します。詩人である文月さんが「都内某大学」で「知人の教授に頼まれ」登壇をしました。そこで教授から公開質問として「詩人と娼婦は似た部分があるが、もしかしたら、ふづきさんも詩を書いていなかったら、風俗嬢になっていたんじゃないか。ふづきさんは娼婦についてどう思う?」
という質問をされたそう。それに対する文月さんの反応や考えが綴られ、最後に「現在の日本社会において詩人であること」の答えで締めくくられています。
どうしても黙っていられなかったので、私は編集者さんにお願いしこの件についての記事を書かせてもらうことにしました。私は医師で男性ですから、権威者、そして資本主義強者という位置付けで「教授」と似たような立ち位置にあると思いますし、そういう風に世間からは見られます。ですから、「教授」側の立場も理解できる私が本件に関して発言することには、一定の意味があると思います。
努めて冷静に整理すると、本件の特異性は
1、「教授」による非常識なレベルのセクハラ発言
2、また信じられぬほどの、文月さんの受容
の二点に集約されます。