裏切るヤツは裏切る。裏切っても成功する
『闇金ウシジマくん』では、仲間を裏切る様もリアルに描かれている。だが総じて、裏切ったヤツは何らかの報いを受けている。
現実では、どうだろうか。信用関係にあった人をひどく裏切って、うまく成功したという話はけっこう聞く。裏切った側が、必ず報いを受けているわけではないようだ。転落した人もいるが、割と多くはケロッと復活して、また怪しいビジネスを続けていたりする。
『フリーエージェントくん』編で、一攫千金を目指す若者が転落した男を鼓舞するシーン。人生には必ず好転のチャンスがある。仕事は選り好みしなければいくらでもあるし、家族や恋人、仲間がいなくても生きていける。だが、諦めてはすべておしまいだ。(『闇金ウシジマくん』フリーエージェントくん編は30巻、31巻、32巻)
意外と、そんなものだ。裏切るヤツは裏切る。そして裏切ったヤツも成功する。
人の道に外れたら報いを受けるという「お天道様はちゃんと見ています」的な仕組みは、現実にはほとんど機能していない。
だから、裏切りを根絶することはできないのだ。
人はいつか裏切る……とまで断言するのは言い過ぎかもしれない。しかし、心が通じ合ったつもりでも、人と人の信用関係が永続的に保たれるという保証は、決してないことは、覚えておきたい。
私はいまだに、「ライブドア事件では部下に裏切られて大変でしたね」などと言われる。なるほど、物事を表面的にしか見ないヤツはそうとらえるのか、と変に納得した。しかし、実際のところ私自身は、まったく裏切られたとは解釈していない。
向こうの理屈がいくら間違っていたり、倫理的に外れていたりしたとしても、相手には相手の論理があるわけで、こちらがとやかく非難できない。
裏切りというのは、感情の問題だ。
相手に対してどのぐらい信頼度があるのか。どんな繋がりを認識していたのか。それは確かなものだと思っていても、やはりただの思いこみ。一方的な感情の物差しでしかない。相手の方はまったく信頼も繋がりも感じていなかったケースは、多々あるだろう。
つまり、裏切られた側が「裏切られた」と定義づけているにすぎない。
ひどい裏切りの事例も、引いた視点で見れば、裏切り者は誰もいないことがほとんどだったりする。私はライブドア事件を、そう総括している。
そもそも裏切るようなヤツは、身近に置いてはいけない。
社会人は、人への信頼度を高めるより、人間性を精査する「審理力」を磨く努力をすべきだろう。それでも裏切られたとしたら?