「自分が何者か知る」ことは、創作者の力になる
三浦しをん(以下、しをん) ここまで、プロの脚本家には「現場の制限」のなかでこそクリエイティビティを発揮する力が求められるという話をうかがいましたが、程度の差はあれ、小説家にもそういう面はある気がします。
三宅隆太(以下、三宅) はい。
しをん たとえば、「原稿用紙30枚の短編を書いてください。雑誌の特集テーマはこうで、主な購読層はこういう年代です」と依頼をいただいたら、その縛りのなかで読者の方が最大限喜んでくださる話を考える、というのが当たり前ですからね。
三宅 そうですよね。どの業界であれ、それが現場の常ですよね。ただ、ここまでの話を少しひっくり返してしまうようですが、脚本学校で最初から制約ありきの現場を教えちゃうというのもまた難しい問題なんですよね。
結局、脚本学校の修了までに習得すべきことは、「自分は何者なのか」、つまり「自分は本当はどういうものを書きたい人なのか」を実感することだと思うんです。
しをん いままでどういうふうに自分を見つめてきたかが、いざ書くとなった時に大切になってくる、ということでしょうか。
三宅 そう。それがわかっていると「暗幕をはれ」と言われたときに武器としてすごく力を発揮するんですよ。
しをん どういうことですか?
三宅 自分特有の物の見方を身につけてさえいれば、夜は撮影できず暗幕をはるしかないという制約のなかで、条件が与えられずに「好き勝手やっていいよ」と言われたときには思いつきもしなかったアイデアやテーマが描けるようになるはずなんです。外側の「縛り」が内側の「フタ」を開いてくれる、というか。なんでもアリでストーリーを広げられない分、展開を掘り下げざるを得なくなるからです。
現場のスタッフは時間を気にせず場所の移動もなく撮影ができるし、脚本家は自分の新しいクリエイティビティに出会えてみんなハッピー。「みんながハッピー」っていうのが、チーム戦の映画づくりの世界でプロとして戦っていく大事なポイントだと思うんですよ。
「知ってたよ」があるかないかで、完成度は大きく変わる
しをん 今は、文章を書ける人はたくさんいると思うんですよ。メールやらツイッターやら、機会がたくさんあるので、若い方は文章を書くことに慣れてらっしゃるなと感じます。ただ、文章力だけでは、なかなかプロとして続かないという現状もあって。すごくもったいないんですよね。
三宅 ああ、しをんさんは文芸賞やコンクールの審査員とかされていますもんね。
しをん はい。新人賞の選考をやっていると、やっぱり「ソフトストーリー派」をよく見かけますね。特に少女小説の場合、こういうヒーローが好きとか、こういう関係性がいいなという発想から書きはじめている方が多い気がします。それ自体は決して悪いことではないんですが、構成がおそろかになっているというか、物語の「ツボ」のようなものを外しているケースが散見されます。
たとえば、ヒーローは本当は王子様なんだけど、ヒロインはそれを知らずに恋に落ちる。しかし、いろいろあって二人は離ればなれになってしまう。再会したのち、ヒーローが王子様だったことが判明する……というラブストーリーがあるとします。ま、王道パターンですよね。この場合のキモは、「離ればなれになる前に、一度、お互いの間に恋心があることを確認しあっておくこと」にあると思います。ハン・ソロの「知ってたよ」みたいな。
三宅 突然の『スターウォーズ 帝国の逆襲』(笑)。説明しますと、『帝国の逆襲』のなかで、ハン・ソロとレイアが愛をたしかめあう良いシーンがあるんだけど、その会話の内容が字幕版だと不十分で、吹き替え版だとうまく訳されて「知ってたよ」というセリフになっているという話ですね。ぼくがラジオで話したやつ。
しをん はい。私もあのシーンが大好きで、「知ってたよ」派だったもので、つい……。話がそれましたが、「離ればなれになる前の愛の確認」は、構成を考えたらおのずと必要になるエピソードなんですよ。だって、愛し合っていることの確認がないまま再会する展開にしちゃったら、「きさま、相手が王子様だと判明した途端、『好きです』とか言い出しやがって!」って思うじゃん!
三宅 うん、思う思う(笑)。
しをん だから、離ればなれになる前に愛の告白を入れるのは「絶対」なんですけど、そういう重要なポイントを外して小説を書く人が結構いるんですよね……。
あなたたちは今まで、創作物のどこを見とったのか。こういうラブストーリーは世界中に山ほどあるのに、なぜ肝心なポイントを踏まえないのか。「せっかく文章はいいのに!」と、拝読していて歯がゆいし、謎です。
その脚本、全然マルホラってません!
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