「ストーップ! とまって、とまって!」
8年前、自宅近くをドライブ中のことです。私は、助手席の窓から、ある立て札に気づきました。車から飛び出して駆け寄ると、そこにはこう書かれていました。
「貸し農園あります。一区画 平均100㎡。年間3万円。水道代別」
「なにそれ? なんの看板なの?」
車の中から、夫がめんどうくさそうに聞いてきます。私はしばらく立て札に見入っていましたが、やがて夫をふりかえりました。
「これ、借りるから」
「借りるって、何を?」
「貸し農園。決めたからね」
「はぁ!? なに言ってんの? じょうだんじゃないよ、農園なんて」
「やるったらやるの」
当時、私は40代になったばかり。サラリーマンの夫と二人暮らしで、児童書を中心にライターをしていました。
園芸好きだったわけでもなく、その立て札を見る瞬間まで、畑をしたいなんて思ったこともありません。窓辺のゴーヤー栽培すら未経験。無農薬と有機野菜の違いもわからず、食へのこだわりも、さほどなかったのです。
「なぜ農園を借りる気になったの?」と聞かれたら、“きまぐれ”としかこたえようがないのですが、ただ、なんだかおもしろいことが始まりそうな予感は、していました。
(自分で野菜を作るって楽しそう! 畑でピクニックもできるんじゃない? とれたてのキュウリやトマトでサンドイッチを作って、ハーブティーも入れちゃおう。それに、自分で野菜を作れば、食費の節約にもなるよね)
そんなことが頭をめぐっていました。
あの日からまもなく8年。「ぼくは手伝わないよ。ひとりでやりなさい」と言っていた夫は、今では私より畑仕事に熱心です。初めて土を耕した日を境に、私たちの生活はすっかり変わってしまいました。たとえば——
■休日は、畑で遊ぶようになりました。
以前は、目的もなく街に出て、外食や買い物ばかりしていました。でも、菜園家になってからは、休日はほぼ畑で過ごしています。野菜の世話をし、カエルやカマキリと遊び、オケラが出たといっては喜んでいます。とれた野菜を食べるため、外食も減りました。ドライブ先も、郊外や地方へ。農産物直売所で伝統野菜を買うのが楽しみです。
カマキリは畑の友だちです。
■野菜は、ほぼ自給自足です。
年に40種類もの野菜を育てているので、野菜の約95%は自給自足です。しかも、カブを3品種、トマトを5品種などと、多品種を作るため、食べあきません。コマツナのつぼみなど、売られていない状態を食べられるのも、自分で作る醍醐味です。
11月のある日の収穫。もちろんすべて無農薬です。
■生活に、季節感があふれています。
その時季にとれる野菜を食べるので、旬のものしか食卓に並ばなくなりました。エンドウは春、トマトは夏、サトイモは秋、ダイコンは冬に食べます。シソの実を漬けたり、切り干しダイコンを作ったり、季節ごとの保存食作りも夫婦でします。季節とともに移ろう畑仕事は自然への感度を高めてくれます。
イチゴは春にとれます。
■夏は早起きになりました。
夏の畑は灼熱なので、早朝に出かけます。かつては朝食も作らずに昼まで寝ていた私ですが、5時に起きて、夫の出勤前に畑に出かけ、水やりをし、トウモロコシをとってきて朝ごはんに食べたりします(もちろん、毎朝はムリですよ)。
ズッキーニの花は、朝咲きます。
■野菜作りを通じて、仲間ができました。
農園仲間は、年齢や職業、国籍までさまざま。それまでの生活では決して出会えないタイプのおじさんやおじいさんとも仲良くなりました。海外旅行中に菜園家と知り合い、畑しごとを手伝ったこともあります。言葉が通じなくても、野菜談義はできるのです。
スリランカでは、泊まった宿でクウシンサイのタネまきを手伝いました。
■野菜ライターになってしまいました。
そして私は、野菜作りを教えてくれた月刊誌『やさいの時間』(NHK出版)で、記事を書くようになってしまいました。農家にインタビューするのが何より楽しみで、プロの技をぬすんでいます。
野菜作りはもはや趣味を超え、わが家の暮らしの核になっています。けれど、農園を借りた当初は、右も左もわからないドシロウトでしたので、そりゃあもう、ありとあらゆる事件が起こりました。
オシャレな菜園ライフに憧れて大失敗したり、収穫間際の野菜を動物に食われたり。害虫に泣かされ、野菜ドロボウには無視され、泣き笑いの連続でした。この連載では、そんな私のドタバタ菜園記をお届けしていきます。
ふだん、季節や自然を忘れて過ごしている方に、菜園の風を届けられたら幸いですし、私のまいたタネがどなたかの心で芽を出し、「野菜を作ってみようかな」と思っていただけたなら、こんなうれしいことはありません。
ぜひ読んでくださいね!
(次回「畑を借りたが、どうしてよいやら。とりあえずクワを買いに行く」は9/15更新予定)