横浜1963

過去との決別、新たな一歩<完>

ソニーは、キャンベルを現行犯で取り押さえようとするも自ら命を絶ってしまった。
事件は終わりを迎えていた。

十二

 ショーンは、エイキンスの腰にしがみ付いていた。
 上半身を舷側から出したエイキンスは、ショーンの手を必死に振り払おうとしている。
「放せ!」
「放しません」
 舷側を摑んだエイキンスは、力を込めて船から身を躍らせようとした。それを見たショーンは、間一髪で爪先をブルワークに掛けた。一人の水兵が、すかさずショーンの足首を摑む。
「どうして死なせてくれない」
「あなたには皆を救う義務があります。これまでの行為を悔いているのなら、死で償うのではなく、皆を救うことで償って下さい」
「嫌だ。死なせてくれ」
 続いて駆け付けてきた水兵たちにより、エイキンスは瞬く間に取り押さえられた。
「私に十字架を背負って生きろと言うのか!」
「そうです。あなたは多くの人々を救わねばなりません。それが神のご意思なのです」
「ああ、神よ」
 エイキンスが天を仰ぐ。
「あなたは、ベトナムで戦う兵士たちとベトナムの人々を救わねばならないのです」
「死なせてくれ。お願いだ」
 水兵たちに押さえられたエイキンスは、駄々をこねるように首を左右に振っていた。
「われわれは障害や危険や圧力があろうが、やらねばならないことをやるだけです。コマンダー・エイキンス、どうか皆を救って下さい」
 いつしかショーンは自分に語りかけていた。
 ──この世は、大統領が殺されるほどひどいものだ。だが、人はやらねばならないことをやる。それだけのことだ。
 ショーンの言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、エイキンスは子供のように泣きじゃくっていた。
 ──もう大丈夫だ。
 エイキンスの身柄は水兵たちに確保されており、心配はない。ようやく安心したショーンは、犯人がキャンベルだと横須賀基地に伝えるべく、無線室に向かおうとした。
「坂口兵曹長」
 その時、背後から声がかかった。
「艦長──」
「後ほど詳しく事情を聞かせてくれ」
 艦長は昨夜までの丁寧な口調を一変させ、明らかに詰問調になっている。
「Yes, sir」
「これからベトナムに行く海軍士官が、どうしてこんな状態になっているのか。君には、その理由が分かっているのか」
「分かっています」
「どのような事情があるのか知らないが、当艦としては迷惑だ」
「あなたには何の責任もありません」
「当たり前だ。当艦の飯がまずくて身投げしようとしたとでも言われたらたまらんからな」
「それも悪くないですな」
 ショーンは笑ったが、艦長はジョークを言ったつもりはないようである。
「サイゴンに着いたら、君と私は海軍本部に出頭し、同じことを何度も問われることになる。こってりと油を搾られるぞ」
「それが軍隊というものです」
「その前に、時間入りの綿密な報告書を書いておくように」
「分かりました」
 艦長はぶつぶつ言いながら、その場を後にした。
 ──また一つ、めんどうなことを背負い込んでしまったな。
 ショーンは自嘲した。だがサイゴンでエイキンスを監視することに比べれば、海軍本部の取り調べなど、さしたることではない。
 行く先には何が待ち受けているか分からない。それを恐れていては、何もできないのだ。
 ──いかなる犠牲、いかなる危険を伴おうとも、すべての危険の中で最も大きな危険は、何もしないことである。
 ケネディの言葉が、頭の中で渦巻く。
 ──爺ちゃん、俺は正しいと思うことをやり抜いたぞ。
 心の中には、すがすがしい風が吹いていた。
 ──よかれ悪しかれ世界は変わっていく。大統領が暗殺されるくらいなのだ。アメリカ合衆国の行く手も決して平坦ではないだろう。だが過去にけりをつけて、われわれは前に進まねばならない。
 ショーンは、どこにでも行ってやる気になっていた。きっと家族も、そんなショーンに付いてきてくれるはずだ。
 ──Do the right thing.
 そこがベトナムだろうが地獄だろうが、ショーンはそれを貫くつもりでいた。

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横浜1963

伊東潤

剛腕作家・伊東潤の新境地、本格社会派ミステリー『横浜1963』がcakesにて連載スタート! 戦後とは何だったのか。その答えは1963年の日本と米国が混在する街、横浜にあった。横浜で起こった殺人事件を通して、日米関係の暗部に焦点を当...もっと読む

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