横浜1963

勇気ある軍人

エイキンスがついにキャンベルとの過去を語る。
太平洋戦争で、キャンベルはエイキンスを救うために生涯、足を引きずることになってしまった。
キャンベルは、戦争で人を殺せなくなった鬱憤を、女性を殺すことで晴らしていたのだという。
しかし、エイキンスは彼に命を救われた恩から、それを糾弾することはできなかった・・・

 キャンベルと女性は黙って横浜の夜景を見ていた。尤も女性の方は、首をキャンベルの肩にもたせ掛けているので、意識があるのかどうか定かでない。
 ソニーは、緊張で冷や汗が流れてきた。
 ──もしもキャンベルが、ネイビーナイフを瞬時に取り出して女性を刺したら、どうする。
 重圧に耐えきれず、幾度も腰のホルスターに触れた。
 ──出るか。
 しかしナイフを出していない状況で飛び出して、逮捕できても、キャンベルは後でいくらでも言い逃れができる。
 ──待て。待つのだ。
 キャンベルは女性の方に首を向けて、じっと様子を確かめている。
 ──いよいよか。
 膝頭が震える。
 キャンベルが立ち上がった。周囲を見回し、人の気配を探っているようだ。
 それが終わると、キャンベルが女性に向かって何か言った。これまでの紳士的な様子とは異なる険しい声音である。
 ──何と言っている。
 次の瞬間、もう一度、同じ言葉が発せられた。
 それは、ソニーにもはっきりと聞き取れた。
 ──「Bitch」と言ったのか。
 女性が動いた。眠り込んではいないようだ。
 次の瞬間、キャンベルは女性を平手で殴ると、その襟を持って服を引き裂いた。
 悲鳴が夜空に響きわたる。
 それに怒ったかのように、キャンベルが女性を突き飛ばす。女性はベンチの上にくずおれた。
 続いてポケットに手を突っ込んだキャンベルは、何かを取り出し、カバーらしきものを外した。
 ──ネイビーナイフだ!
 ソニーが一歩、踏み出したその時、キャンベルの手に握られているネイビーナイフが光った。
「そこまでだ!」
 ニューナンブM60を構えつつ木陰から飛び出したソニーは、ゆっくりとキャンベルに近づいていった。
 啞然としてこちらを見つめるキャンベルの目が、獣のように光っている。
「ナイフを捨てろ!」
 ようやく状況を理解したのか、キャンベルはベンチに倒れている女性を抱き寄せると、その首筋にナイフを当てた。
 ──何てことだ。
 一瞬、狙撃をためらったため、ソニーはキャンベルに、その行動を許してしまった。
 それが、人を撃ったことのない者の悲しさである。
「Keep away from me!」
 キャンベルが威嚇する。
「Throw away it!」
 ソニーも譲らず、叫び返す。
 キャンベルに首を締め上げられた女性は、ぐったりとしている。意識を失っているようだ。
「後をつけてきたのだな」
「そうだ」
「どうして私が犯人だと分かった」
「カントリーのカートリッジだ」
「そうか。それは迂闊だったな」
 その言葉には、少しも後悔の色が感じられない。
 ──キャンベルの心の一部は、捕まりたいと願っていたのかもしれない。
 それは、堂々とテンペストを使い続けていることからも明らかである。
 ソニーは、今こそキャンベルの良心に働きかけるチャンスだと思った。
「コマンダー・キャンベル、あなたは見つけてほしかったのではないか」
「何だと」
 キャンベルが不思議そうな顔をする。
「今、あなたは犯行の現場を見つけられて、ほっとしているはずだ」
「────」
「図星だろう。自分の心に聞いてみるがいい」
 キャンベルの顔に焦りの色が走る。
「ナイフを捨てるんだ。もう終わりにしよう」
「俺は──、俺は白人以外の連中が、この世界にのさばるのが我慢できなかった」
「のさばるだと。誰ものさばってなどいないぞ」
「お前も白人なら分かるだろう」
「私はハーフだ。心は100日本人だがな」
「ハーフだと。それならなぜ、白人の美しい血を尊ばない。残る半分の汚れた血に、どれほどの価値があるというのだ」
「私は双方の血に誇りを持っている」
「なぜだ。戦勝国であり、世界の覇者である米国人の血が、なぜ負け犬の日本人の血と同等であらねばならないのだ」
「血に上下はない。民族や人種も同じだ」
「それは違う。白人は優れている。だから、それ以外の民を支配する権利がある」
「そんなものはない!」
 ソニーの体内を流れる血が混ざり合い、沸騰した。
「キャンベル、あんたは間違っている」
 ソニーが一歩、二歩と近づく。
「寄るな。そこから一歩でも近づけば、女を殺すぞ!」
「殺すことに何の意味があるというのだ」
「汚れた血の種子を、少しでも摘み取れるではないか」
 あまりに理不尽な動機に、ソニーは暗然とした。
「あんたは狂っている」
「狂ってなどいない。俺は穢れた女たちを救っているのだ」
「救うだと──。どういうことだ」
「汚れた血を清めてやり、雌豚を天に導いているのだ」
 それでキャンベルが、有色人種の女性を犯す意味も分かった。
 ──つまり己の精液で女性を清め、命を絶つことで天に送っているつもりなのか。
 ソニーの脳裏に突然、寒風の中、頰を真っ赤に染めて自転車を走らせるセーラー服姿の少女が浮かんだ。彼女の目は、まっすぐに未来を見つめていた。
 ──彼女は雌豚じゃない。
 ソニーの手が怒りで震える。
 ──彼女は、自分の人生を切り開こうとしていただけだ。彼女には生きる権利が、幸せになる権利があったはずだ。
「キャンベル、あんたは悪魔だ」
「悪魔ではない。私は神だ」
「神だと」
 ──そう信じて、奴らは朝鮮で、そして今、ベトナムで有色人種を殺し続けているのか。
 怒りよりもあんたんたる思いが、ソニーを襲う。
「キャンベル、あんたが神なら、己の罪の重さが分かるはずだ」
「俺は罪など犯してない。汚れた有色人種を救ってきたのだ」
「救うだと。あんたは人を殺してきただけだ。人を殺す権利など誰にもない」
「では、なぜ戦争で人を殺していいんだ」
 ソニーが言葉に詰まる。
「俺たちは戦争に勝っただけでなく、日本を占領している。つまり支配者だ。勝った者は何をやってもいいはずだ」
「そんなことはない!」
「それでは、何のために戦友たちは血を流したのだ。彼らもここで、支配者として振る舞いたかったはずだ。それが、ジャップの銃弾に倒れた者たちにはできない。その不条理をどう説明する。俺は彼らの恨みを晴らさなければならないのだ」
「それは違う。あんたは間違っている。だが──」
 ソニーは、ショーンから聞いた話を思い出していた。
「かつてあんたは、勇気ある軍人だったではないか」
「Courageous Soldier、だと」
「そうだ。かつての己に恥じない勇気を持ってくれ」
「勇気ある軍人か」
 キャンベルの腕から力が抜けた。女が力なくその場に崩れていく。
 気づくと、キャンベルの背後の空が白んできていた。
 横浜の町が目覚めようとしているのだ。

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この連載について

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