横浜1963

その答えは風の中にある

深夜の横浜でキャンベルを尾行するソニー。
キャンベルを現行犯逮捕するタイミングをうかがっていた。

 海が荒れているのか、船の揺れ方が激しい。いつも船に乗っているわけではないショーンは、外海の荒波に慣れておらず、激しいピッチング(縦揺れ)に目覚めてしまった。船に慣れた者によると、ローリング(横揺れ)には耐えられても、ピッチングには耐えられない時があるという。
 ──まったく、その通りだ。
 昨夜のディナーが、胃袋の中でピッチングを繰り返している。込み上げてくる吐き気を堪えながら、小さな丸窓から外を見ると、まだ朝になっていない。
 時計に目をやると、四時を少し回っている。こうなってしまうと、再び眠れる気はしない。
 立ち上がって顔を洗ったショーンは、デッキに行って朝の清々しい空気でも吸おうと思った。
 水密扉を開けて外に出ると、風が強く吹き付けてきた。寒さはさほどでもないが、波飛沫が掛かるので、長くいると濡れ鼠になるかもしれない。
 ──一回りして戻るか。
 そう思ったショーンが船尾に向かって左舷を進んでいくと、男が一人、ブルワークに寄り掛かっていた。
 ──夜明けの海でも見るつもりか。
 ショーンが近づいていくと、男も気づいたようだ。
「Good Morning. Officer坂口」
「あっ、お早うございます」
 そこにいたのはエイキンスである。
「随分と早いじゃないか」
「中佐こそ、お早いですね」
「ああ、眠れなかったのでね」
「どうしてですか」
 皮肉を言ったつもりはなかったのだが、エイキンスの口端に苦い笑みが浮かぶ。
「いろいろ思い悩むことがあってね」
「つまり、何かに罪の意識を感じておられるのですか」
 今度は間違いなく皮肉だが、エイキンスは真摯な眼差しを向けてきた。
「罪悪感は誰しも持っている。しかし罪には、許されるものと決して許されないものがある」
「仰せの通りです」
「私たちは罪を犯した」
 ──今、「I」ではなく、「We」と言ったのか。
 ショーンは戸惑った。
 ──つまり犯人はエイキンスともう一人の誰か。いや、エイキンスは犯人を庇っているだけではないか。ということは──。
 そこまで考えた時、一つの仮説が浮かんだ。
 ──だが、事を急いではならない。
 ショーンは己を戒めると問うた。
「Weとは、どういうことですか」
「仁川で私は一度、死んだ」
 ショーンの問いにちよくせつには答えず、エイキンスは虚ろな目で記憶の中の何かを見つめていた。
「至近弾で端艇が吹き飛ばされ、私は海に放り出された」
「聞いています。気を失って沈んでいったところを、キャンベル中佐に救われたんですね」
「そうだ。彼は私の命の恩人だ」
 相変わらず船の揺れは大きく、水平線は全く水平を保っていない。
「彼は私を救うために生涯、足を引きずることになった。彼は敵と戦うために生まれてきたような男だ。もう戦えないと分かった時、彼はひどく落ち込んだ」
「名誉の負傷は、軍人として誇るべきものです。落ち込むなどナンセンスです」
「君はキャンベルを知らないから、そう言えるのだ」
「しかし──」
「いずれにせよ、彼は私のために傷を負った」
「同僚を助けることは軍人の義務でもあります。恩は恩として心の内に収めておく。それだけで十分でしょう」
 太平洋戦争中から、米軍内では戦場での個人的貸し借りについての問題が、後を絶たなかった。そうしたことに軍上層部は不干渉を貫いていたが、中には金銭や見返りを要求する者もいて、頭を悩ませていた。
「確かに君の言う通りだ。しかし理性では分かっていても、彼に巣食った悪魔は、彼にいけにえを求め続けた」
「悪魔──、生贄──、いったい何を言っているのですか」
「足の負傷が癒えたキャンベルは、自ら志願して避難民収容の職務に就いた。むろん後方で避難民の名簿を作ったり、面倒を見たりする仕事だ」
「それは聞いています。それが今回の一連の殺人と、どう結び付くのですか」
 エイキンスの顔に冷めた笑みが浮かぶ。
「失礼しました」
「いいんだ。君は、私が殺人犯だと思っている」
 一瞬、ちゆうちよした後、ショーンは思いきって言った。
「その通りです。あなたは自分の性衝動を抑えきれず、罪もない女性たちを殺した」
「なるほど。辻褄は合っているな」
「つまり、あなたは何もやっていないということですか。では誰が──」
 頭の中が混乱した。
 突然、エイキンスは『Blowin’ In The Wind』を口ずさんだ。
 ──待てよ。
 この時になって、ショーンはあることに気づいた。
 ──あのカントリーウエスタンのカートリッジは、エイキンスのものではないのか。つまりエイキンスは、クルマを誰かに貸していたのか。
「テンペストは、どうなされたのですか」
「置いてきたよ」
「置いてきたとは」
「キャンベルに譲ったのさ」
「つまり、これまでも、よく貸していたのですね」
「その答えは風の中にある」
 エイキンスは疲れたように俯くと言った。
「私も同罪だ」
「ちょっと待って下さい。ということは──」
 あきらめと疲労を漂わせつつ、エイキンスが重い口を開いた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

横浜1963

伊東潤
コルク
2016-06-08

コルク

この連載について

初回を読む
横浜1963

伊東潤

剛腕作家・伊東潤の新境地、本格社会派ミステリー『横浜1963』がcakesにて連載スタート! 戦後とは何だったのか。その答えは1963年の日本と米国が混在する街、横浜にあった。横浜で起こった殺人事件を通して、日米関係の暗部に焦点を当...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません