笑いのカイブツ

これは、全部、僕の分の絶望だ。

今までのお笑い人生を懸けて、落語のコンテストに応募するも落選。バイトも辞め、引きこもりのような状態になったツチヤさんの前に広がっていたのは何にも救われない地獄でした。
他を圧倒する量と質、そして「人間関係不得意」で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん。その孤独にして熱狂的な笑いへの道ゆきが、いま紐解かれます。

落語が落選して、僕はその絶望に捕まった。
奇しくも、あの音楽家が死んだ年齢と同じ、27歳という年齢だった。

クラブのバイトを辞めて、無職になった。

母校の前を、自転車で通る。
教室で大喜利をしていたあの頃から、12年が経った。

もしも、あの頃の自分が、目の前に現れたら、僕は今の自分を見られることを、凄く恥ずかしいと思うだろう。僕は、もしかすると、ずっと自分を恥じていたのかもしれない。

学校という世界では、人気者達の人生のエキストラだった。
いても居なくてもただの空気と同じ。こんな男が居たことすら、誰も気づいていなかっただろう。

笑いを辞めた今、僕は、間違いなく、あの頃の自分に、戻っていた。

部屋の中で、うずくまる、死にたくてたまらない夜ばかり。
あの校舎の中に、かつての僕のような人間は、どれくらい居るだろう?

母校の前を通り過ぎながら、昔のことを思い出す。


母が連れて来た新しい男を、睨みつけた10才の少年に、僕は戻る。
こいつで何人目だ?
家の中に、次から次へと出現する「異物」たち。

新しい父親を探してるなんて、正当化すんじゃねえよ。 結局、てめえが男好きなだけだろ?

「無口やな」

10才の僕を見て、新しい異物は言った。

脳みその中を、異物に毒させない唯一の抵抗手段は、心を完全に閉ざすことだ。自分の脳みその中の世界だけには、異物が入ってくることはない。この頭の中の街だけが、僕に許された、誰にも邪魔されない居場所。

両親が揃っている人間は、こんな思いをしなくて済むのか。


夕方、家に帰っても、一人ぼっち。首から下げた家のカギ。
クラスメイトの家の前を通ると家の中から、夕飯のいい匂いがした。

今夜だけでもこの家で、夕飯を食べることができたら、どんなに幸せだろう?
どれだけ暖かくて、愛に満ち溢れていて、幸せなことなのか。だけど、それは手に入らない。
やはり僕は頭の中に引きこもるしかなかった。

物心ついた時から、当たり前が、当たり前じゃなかった。当たり前を喉から手が出るほど欲した結果、心に巨大な穴が開いた。
ただそれでも、楽しむという感情や笑うことだけは、すべての人間に、平等に分配されていた。

急いで家に帰り、テレビの前に座り、チャンネルをつける。
このクソみたいな現実から、僕を救ってくれ。

テレビのチャンネルをつけた時、マンガのページを開く時、音楽の再生ボタンを押した時、ゲーム機を起動させた時、その瞬間から、首根っこ掴まれて、異世界に引きずり込まれた。

狭い部屋で、一人ぼっちの僕が、エンターテイメントを前にした時だけは、平等になる。僕も笑うことができる。

エンターテイメントだけが、僕の神様だった。
キリストでもなく、ブッダでもない、僕が信じた神様は、確かにその中にいた。

部屋の中で、うずくまる、死にたくてたまらない夜。
笑いを辞めた今、僕は幼い頃のような、暗い世界に引きこもっていた。

「オレには、笑いの才能があったんやろうか?」

仕事が皆無である、今の現実を見れば、答えは、すでに出ていた。答えは、この現実。
目の前が真っ暗で、何の希望もない。 目をそらさずに、直視した時に、湧き上がった感情は、

「今の自分を救って欲しい」

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笑いのカイブツ

ツチヤ タカユキ
文藝春秋
2017-02-16

この連載について

初回を読む
笑いのカイブツ

ツチヤタカユキ

他を圧倒する量と質、そして「人間関係不得意」で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん、二七歳、童貞、無職。その孤独にして熱狂的な笑いへの道ゆきが、いま紐解かれます。人間であることをはみ出してしまった「カイブツ」はどこへ行くのでし...もっと読む

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コメント

asobe_kosuke https://t.co/YMsUYSI0Q2 約3年前 replyretweetfavorite

416rpm とてもリアルな絶望、地獄の描写で吐きそうになった。昔のことを思い出す 約3年前 replyretweetfavorite

danburutobira これ読んでやる気が戻った。 約3年前 replyretweetfavorite