「現実 対 虚構」
先日SMAPが年内での解散を発表しました。2001年に『金スマ』を中居正広さんと一緒に立ち上げた自分としては、すごくさびしいです。 今回はそんな今から15年前の、『金スマ』立ち上げた時から感じ続けている、現実VS虚構の話です。
芸能界や、そこで活躍する俳優、タレント、アイドルという職業、そしてそんなみなさんが出演するテレビのバラエティ番組は、基本“作り物=虚構”だと僕は考えています。
虚構というと一見ネガティブに感じられるかもですが、僕はそうは思いません。というのもそもそも現実世界の中でどう自分をキャラクター付けして、社会の中で個人として存在するかというのは、多かれ少なかれ誰でもやっていることだからです。
そしてそれが一番顕著になるのが、時流に流されやすいテレビの中、特にバラエティ番組なのです。 なぜなら、バラエティ番組に出ている時、タレントさんはあくまで、「自分」です。ドラマなどの配役があるのと違い、基本個人の名前で出演します。みなさんそれぞれの現実の人生が当然ありますが、むしろそれを隠してor強調してor戯画化して、どうみなに求められている虚構(理想像)としてのキャラクターを成立させるのか、それがタレントだしアイドルという職分なのです。
アイドルの日本語訳が“偶像”なのもうなずけます。その現実の人間をいかに虚像としてうまく描くか?それを後押しするのが、僕らの作っているバラエティ番組の特性だとも言えるのです。
そしてそんなポジティブな虚構の世界であるバラエティ番組は、今非常に作りにくくなっています。実際以前ほど大ヒットするバラエティ番組は少なくなっています。それは現実が虚構に攻め込んできているからだと僕は思います。
さて、シンゴジラのキャッチコピーに影響されて、今回は「虚構」という言葉をたくさん使いますが、虚構とは「実際にはないけれど、作り上げたこと」です。だからこれは、クリエイティヴ全般にかかわる大きな問題なのです。
90年代のドキュメントバラエティの時代
僕がテレビ業界に入った1990年代、バラエティ番組ではアポなし取材や芸人がヒッチハイクする日本テレビの『進め!電波少年』が大人気でした。この種の番組は「ドキュメントバラエティ」と呼ばれ一大ブームを築きました。
それまでのバラエティ番組はタレントが何かスタジオで企画を行う収録がメインでした。しかしスタジオで流すロケVTR映像を、そのロケ撮影の行程をメインにあくまでドキュメンタリータッチで演出し、過剰に感情を見せるのがドキュメントバラエティです。
ドラマのようにフィクションとしてではなく、普段の人々の日常生活にころがるおもしろいことやハプニング、感動やおかしみの現実をより強調して、僕ら制作者が出演するタレントさんと一緒に番組に仕立て上げるのです。