三
ソニーが大村から命じられた仕事は、不法入国した外国人娼婦の摘発を行うので、その下調べに行ってこいというものだった。
大村の話によると、伊勢佐木町四丁目の根岸家周辺にたむろしている娼婦たちが怪しいというので、その辺りをぶらつくことにした。
伊勢佐木町は米軍に接収された建物が多く、戦前戦中とは町の様子が一変していた。それでも四丁目辺りは接収されたものが少なく、古きよき時代の伊勢佐木町の雰囲気が残っている。とくに根岸家は、この界隈の中心と言ってよく、いつ行っても賑わっていた。
根岸家は二十四時間営業をしており、和食、洋食、中華など何でも食べられる。そのためか周辺には中国人娼婦などがうろうろしており、米兵などを引っ掛けて、根岸家で食事をしてから、どこかにしけこむというパターンが定着していた。
そのため少し前までは、米兵や船員の絡んだトラブルが絶えない地区でもあった。今は随分と落ち着いてきているが、ここのところのしてきた愚連隊が、売春やヒロポンにまで手を染めるようになり、治安が極めて悪くなっていた。
東京オリンピックを来年に控えたこの頃になると、国を挙げて盛り場の清浄化に取り組むという方針が政治家筋から警察に出されており、愚連隊や娼婦の摘発が増えてきていた。
──好きで娼婦をやっている者はいない。そのことを考えてやらずに摘発するだけでは、国として片手落ちではないか。
そうは思っても、ソニーに何かできるわけではない。
娼婦というのは弱い存在なので、どうしても男の力が要る。いわゆるポン引きである。
ポン引きの元締めはたいてい暴力団関係者で、彼らは海外から出稼ぎ娼婦を不法入国させ、日本人娼婦と偽って米兵などにあてがっている。というのも、日本人全体の生活水準が上がったことで、日本人娼婦の数が減少傾向にあり、その補充を海外に求めざるを得なくなっているからだ。
ソニーは舶来の背広を借りて米国人商人を装い、伊勢佐木町四丁目界隈を歩いてみた。
まだ日が落ちて間もないので、娼婦たちは出てきていないが、歩いていれば、「いい女いるぜ」と言いながら、愚連隊の少年が近寄ってくる。
その一人に声を掛けられたので、誘われるままに外人バーに入ってみた。外人バーとは主に外国人を相手にするバーのことで、つまみなどはなく酒しか置いていない。
少年は娼婦を連れてくるのでここで待てと言う。バーにはカウンターとスツールしかなく、バーテンもまだ出てきていない。背後の棚にある酒壜もまばらで、酒を出すというより女を連れてくる場所だというのが、よく分かる。
その寂れた雰囲気を払拭したいのか、店内には大きな音でFENが流れていた。
「何にしますか」
店内を掃除していた店番らしき少年が尋ねてきたので、「まだいい」と答えると、少年は何も言わずに雑巾がけに戻った。
バーのドアは開け放たれたままなので、外の喧騒が聞こえてくる。それに負けじとFENのDJが、ハイテンションな声を上げている。
DJの曲紹介に熱が籠っているので聞き耳を立てていると、どうやらニューヨークの若者の間で、爆発的な人気を博している歌手の曲を紹介しているらしい。
「So, You must not forget his name. Bob Dylan」
軽やかなフォークギターと共に、個性的な歌声が聴こえてきた。
──確か今、ボブ・ディランと言ったな。
その名は、どこかで聞いた気がする。
──どこだったか。
突然、記憶が呼び覚まされた。
「誰だってボブ・ディランやジョーン・バエズのカートリッジの間に、『カントリー&ウエスタン名曲集』があれば、その人の好む音楽の傾向が分からなくなるだろう」
ショーン坂口の声が脳裏によみがえる。
その時、愚連隊仲間らしき少年が入ってくると、ソニーの横に腰掛けた。少年はソニーと視線が合っても、会釈一つしない。
大人たちが白人に媚びへつらうのに反発心を抱く日本の若者たちは、ことさら白人を軽視しようとする。
入ってきた少年は、カウンターを雑巾がけしている少年と話を始めた。
「兄貴がだちにクルマ貸したらよ、そいつがこすっちまったんだってよ。そいで兄貴が怒ってぶんなぐったら、そいつの兄貴が出てきてさ──」
「ああ、それで出入りになったんだな」
「そうだよ。元をただせば、あの出入りはクルマの貸し借りからなんだ」
ボブ・ディランの曲と、そのいかにも知能指数の低そうな会話は、見事に違和感がある。
──クルマの貸し借りか。
何の気なしに聞いていた会話から、かすかにリールが巻かれる音がした。
──ボブ・ディランとクルマか。待てよ。
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