AREA-X Dirty Blood 汚れた血
一
「これで一件落着だな」
刑事部長の川本正勝警視正は、ソニーの肩に軽く手を置くと会議室を出ていった。
「奴らの尻を叩くとは、たいしたもんだ」
捜査第一課長も苦笑いしながら後に続く。
「今回はこれでよかったが、もう勝手なまねは許さんぞ」
そう釘を刺すと、ハンケチで額の汗を拭きつつ、警備部長が二人の後を追う。
紫煙の残る会議室に残されたのは、外事課長の大村俊彦警視、ソニー沢田、そして山盛りの灰皿である。
「沢田君、今回はうまくいったが、米軍の窓口が坂口とかいう日系人でなかったら、どうなっていたか分からんぞ」
「分かっています」
「本当に分かっているのか」
「──」
ソニーは、あからさまに不貞腐れた態度を取った。
「どうやら分かっていないようだな。もう君には外事課本来の仕事以外は任せられない」
そう言うと、大村は足早に会議室から出ていった。
──こうなることは、初めから分かっていた。
上の方針に反することをすれば、いかに結果が吉と出ても認められることはない。それが日本の組織である。
プロ野球で逆転ホームランを打った選手が、その打席で送りバントのサインを見落としたことで、翌日の試合に出してもらえなかったという記事を読んだことがある。その時、新聞各紙は、監督の判断を褒めたたえた。
──それが日本というものだ。そうした仕打ちが嫌なら、日本から出ていくしかない。
流しまで行って灰皿を片付け、いったん自分のデスクに戻ろうとしたが、昼を告げるサイレンが聞こえてきた。食堂で蕎麦でも食べようかと思ったが、その気になれず、まずは屋上で一服することにした。
屋上に通じる鉄扉を開けると、強い風が吹き込んできた。
──もう十一月二十二日だからな。
赤沢美香子が殺されたのは七月初旬だったので、早くも五カ月が過ぎようとしている。
屋上に出ると、外事課の事務を担当している重藤敏子と新人の森田裕介がいた。
二人の顔が同時にこちらを向く。
「よう」
不思議な組み合わせだと思いつつ、ソニーは右手を挙げた。
「どうしてここに」
敏子が驚いたように問う。
「こっちの方こそ、それを聞きたいね」
「私たちは、外の空気を吸おうと思って──」
「それなら、僕は退散するよ」
二人の様子に違和感を覚えたソニーは、その場から立ち去ろうとした。
「いいんです」
ソニーの背に森田の声がかかった。
「僕たち、結婚するんです」
あまりに唐突な言葉に、ソニーは啞然とした。
「君らは付き合っていたのか」
振り向くと森田が力強くうなずいた。一方の敏子は恥ずかしげに俯いている。
「そいつは──」
──気づかなかった。
「いつから」と聞こうとして、ソニーはやめた。詮索しているようで嫌だったからだ。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「姉さん女房だな」
「はい。そうなります」
森田が照れくさそうに笑う。その笑顔は、これまでソニーに見せたことのないものだった。
「われわれは、もう行きます」
「いいよ。僕が行く」
「いえ、仕事があるので行かねばなりません。ソニーさんは一服していって下さい」
そう言うと、敏子を促すようにして森田は去っていった。
──男と女とは不思議なものだな。
少なくとも敏子の様子からは、森田に特別な感情を抱いているようには見えなかった。逆に嫌っているような気さえした。一方の森田も、仕事以外では敏子に話しかけることなどなかったはずだ。
──まあ、万事はそうやって進んでいくものだ。
おそらく二人の関係も、意外なことから発展したのだろう。
森田の別の一面が見えたことで、敏子も「悪くないな」から「好印象」へと転じていったのかもしれない。
現にソニーの目にも、今は、あの森田がしっかりした好青年に映った。
──森田の意外な側面を見落としていたのだな。
ようやく煙草を吸いに来たことを思い出したソニーは、胸ポケットから両切りピースとジッポを取り出すと、一服吸った。
──二人のことに気づかなかったのは、迂闊だったな。
ここ数カ月、事件のことで頭がいっぱいで、周りのことが見えていなかったのだ。それでは事件のことは、すべて見えていたのかというと、その確信も持てない。
──世の中は見分けにくいものばかりだ。
考えてみれば、白人の風貌をした日本人のソニーと、血脈的には日本人でありながら米国国籍のショーンも、見分けにくい典型である。
──まがい物、すなわちフェイクか。
自嘲しようと思ったところで、笑みが唇に張り付いた。
──待てよ。何か見落としていないか。仲が悪いと思っていた森田と重藤が、いつの間にか男女の関係にあったように、気づかないうちに、思い込みで進んでいるものはないか。
ソニーの心の片隅に、何かが引っ掛かっていた。
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