若者文化とロックミュージックの幸せな関係の時代(下)

第二次世界大戦後のアメリカの「若者文化」が果たしてきた役割から、その答えを探る本章。考察は伝説のウッドストックのコンサートへ。ロックミュージックは当時の若者たちにとって何であったのか?

 ウッドストックについて、周辺のことを書いていて、「ウッドストックコンサート」そのものに触れられなかったので、当時の個人的な気分を趣味的に少し書いておく。

 1969年夏に開かれたウッドストックは、翌年に映画となって公開され、ライブ版レコードも三枚組で発売された。

 当時、中学生だった私は、レコードがすごく欲しかった。でも高かった。1972年になってから、輸入盤のバーゲンセールだったとおもうが、買った。カセットテープに入れて(レコードを繰り返し聞いてると減るから)聴きました。映画も、リバイバル映画を3本立てで見せてくれるところで見たような記憶がある。(京都の美松会館だったような気がするが、そのへんは曖昧である)。

 レコードを通して聞くと、これはもうどうしてもジミ・ヘンドリックスが心に残ります。あらためてウッドストックの当時の記録を読んでいても、ジミが「とにかくこの歴史的イベントの最後の演奏者となる」ことにこだわっていたことがわかり、その演奏が他を圧倒して心に残るのも当然だとおもう。「星条旗よ永遠なれ」をギター一本で演奏している途中、そのメロディーを潰す音が続き、これは京都の中学生が聞いても「ベトナム戦争を表現しているんだな」と気がつく。気がついた自分に驚く。その驚きをまだ覚えている。レコードやライブ映像としてのウッドストックのピークは、ここにある。

 音楽として、いまだに耳に残っているのは、なぜかジョン・セバスチャンの「アイ・ハッド・ア・ドリーム」で、それはライブ盤のいっとう最初に入っているから。カセットテープの最初に入れたので何度も聞くことになった。だから中学時代、ウッドストックの音楽といえばこのジョン・セバスチャンの「アイ・ハッド・ア・ドリーム」がまずおもいだされていた。

 あとはジョーン・バエズ。彼女の声はどこまでも説得力がありますね。

 リッチー・ヘイブンズ「フリーダム」の観客との掛け合いはすごく印象的だ。

 クロスビー・スティルス・ナッシュとヤング、ザフーは、やはり中学のときに聞いて心に残った歌声です。それはいま40年ぶりにライブ映像を見ても、わかる。この人たちの演奏は、強く観客に訴えていて、そこに届いている。それとジョー・コッカーに、テンイヤーズアフターもかっこよかった。

 ただ、今回、いろんな資料を見つつ、あらためて整理してみると、このライブ盤のレコードや、映画のライブ映像は、順番がすごく適当だったのがわかった。おもったより適当です。というか、あまりにも適当すぎる。無茶苦茶すぎます。

 たとえば、中学三年のときに聞いて以来、ジョン・セバスチャンの「アイ・ハッド・ア・ドリーム」がウッドストックのオープニングの曲だとおもってたのに、全然、ちがっていた。(どうやら二日目の出演らしい。何だそりゃ。どうして二日目の出演者をライブ盤レコードの一曲目に入れたんだろう)。そもそも、ジョン・セバスチャンは出演依頼を受けておらず、たまたまこの会場まで遊びに来てバックステージにいるときに、「いま、ステージにあがれる人が誰もいないから頼む」と言われて、飛び入りで参加した、というのを知って、とても驚いた。いったいどんなライブ運営なのだとおもうけど、どうやらそういうものだったらしい。いっとう最初のオープニングに出たのは、観客としきりに掛け合いしていたリッチー・ヘイブンズらしく、しかも彼もトップバッターとしての依頼は受けておらず、でも、開演時間になるのにほかのアーチストは誰も到着しておらず、何十万人もの客を待たせているなか、その時点で演奏可能だったのは彼しかいなかったから、という理由で、トップの演奏者となったらしい。

 なかなかすさまじい、いきあたりばったりさである。

 ウッドストックを目指して何十万人もの若者がクルマでやってきたものだから、絶望的な渋滞が起こってしまったうえに、次々とみんなクルマを乗り捨てて歩き出したので、渋滞ではなく「何万台ものクルマによる路上封鎖」となってしまい、会場に向かっていたアーチストがいろんなところで足止めを食らってしまった。よくまあ、そんな状況でミュージックイベントが開かれたものだとおもうが、だから、かなり間延びしたものだったらしい。ひと組のアーチストのパフォーマンスが終わると、何十分も中断があったようなのだ。ひどいときは1時間、2時間と誰もステージにあがらず、おそらく案内もないまま、みんなはぼんやりと待っていたんだとおもう。ひとかけらでも悪意が生まれると、大きな騒動になりそうな状況であるが、そういうことはまったく起こらなかったらしい。三日にわたり、そういう状態ながら、まったく騒動がなかったのが、ウッドストックのひとつの奇蹟でもあるのだろう。

 誰がどういう順番でステージにあがるかが決まっておらず(本当は決まっていたのだけれど、いまのような事情で誰も予定どおりには現場に入ってなかったので、無意味な予定表となった)、その場にいるメンバーのうち、いまステージに上がれる度胸のある者から、どんどん上がっていった。

 ぼんやりと見ている観客はともかくとして、主催者側は、だれ一人として、どういう順に上がっていって、どういう曲を演奏して、どれぐらいステージにいたのか、把握していなかった。そして、誰も記録していなかったようなのだ。

 ウッドストックという歴史に残るイベントであるが、その正確なライブ記録が残ってなかった。いまでも残っていない。「ライブ映像を見ると、すでに夜が明けているから、演奏時間は朝だったらしい」というような記述がそこかしこにで見られる。そういういろんな検証や証言を掻き集めて、実際にどういうふうにどの順に演奏されたかが、いまでは復原されている。関ヶ原の戦いでどの時間に誰が何をやっていたのかという復元するのと替わらない。歴史検証作業である。

 逆にいえば、当時、そういう基本的なことを記録する係さえ存在しなかったということである。そういう時代でもあるし、運営も進行もすべてシロウトがやっていたということである。(1人6ドル取るはずだったのが、みな無料になった、という時点でプロがやっているイベント仕事ではない)。そのアマチュアリズムが、たまたま、いろんなところでうまいぐあいに転がったようである。そのあたりがウッドストックらしい。

 1970年に発表された映画や、ライブ盤レコードでの演奏順は、実際の演奏順とあまり関係なく並べられていた。だから、私は、ずいぶん出演順を誤解したいた部分がある。まあ、どっちでもいいことなんだけれど。

 最後に出て来たのはジミ・ヘンドリックスだった。かれの演奏は名演奏だったのだが、いかんせん、かなりの観客が帰っていたらしい。

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1970年代の見張り塔からずっと

堀井憲一郎

高度経済成長が終わりを迎えた1970年代、若者文化もまた曲がり角に差し掛かろうとしていた。いまのカルチャーはどこまで行ってもこの曲がり角の先にある。日本人はこの曲がり角をいかにして迎え、そして無事に曲がることができたのか? 現代日本を...もっと読む

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コメント

Sinnichio ベトナム戦争とジミヘン。福島原発事故とシン・ゴジラが頭に浮かんだ 約2年前 replyretweetfavorite

Water_Waltz https://t.co/9LqoPPw46B JimiやJanisの死の影に隠れがちなんだけど、Alan Wilson…彼の死も大きな損失だよな…。 Canned Heat♪Woodstock Boogie https://t.co/9oWwqSG7On 約2年前 replyretweetfavorite

consaba 堀井憲一郎「ウッドストックについて、周辺のことを書いていて、「ウッドストックコンサート」そのものに触れられなかったので、当時の個人的な気分を趣味的に少し書いておく。」 約2年前 replyretweetfavorite