(『吉祥天像』 作者不詳 8世紀 薬師寺所蔵)
薬師寺の『吉祥天像』には、光明皇后をモデルに描かれたという「伝説」があります。
聖武天皇が生前愛用し、現在は正倉院に収められている『鳥毛立女図屏風(樹下美人図)』の女性と似ているため、いつしか光明皇后の肖像という「伝説」ができていったのではと考えられます。
現代人の目にはなんとも「太ましい」お姿でございます。でも同時にふくふくとして、笑ったら可愛いんだろうなぁとも思ってしまいます。両者に共通するのは、極太の眉。そしておちょぼ口。唇の一部にだけ真っ赤な紅をさしているようにも見えます。
鳥毛さんの頬には、現代人には「おてもやんチーク」といいたいほどの、赤みがさしています。さらに、あまり今日では目立ちませんが、顔には水銀を水蒸気化した酢で蒸すことで作られた白粉が塗られています。持統天皇(645-702)の時代には国産されるようになりますが、それまでは「舶来上等の品」、つまり中国から輸入していた、高価なものでした。
そう、これは当時の中国を支配していた、唐で大流行の最新式メイクだったのです。唐とその前に中国を統一した隋の時代(聖徳太子が、「日出いづる処ところの天子……」という書状を送った王朝)は、男尊女卑の国のように見えて、かなり女権が強かった時代です。
隋の時代は、高貴な女性の間でも「この男のメイクラブは上手い」などといって、都合のいい男性を共有していたそうです。
唐の時代には唯一の女帝・則天武后(もしくは武則天 在位690-705)が立っています。
孝謙天皇(女帝)として即位した、光明皇后と聖武天皇の娘(718-770)も、則天武后に憧れていたようです。日本の元号は中国文化に倣って、基本的に漢字二文字なのですが、孝謙天皇の即位から5回だけ、「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」といった風に漢字四文字に変わりました。
唐では、シルクロードを伝って西方の名馬や騎馬文化が中国にもたらされました。その結果、馬に乗って行うポロ風のスポーツを女性も楽しんだのです。同じく、西方から入ってきた最新式メイクが、このおてもやん風チークと極太眉なのでした。
当時の中国の殿方はそれでOKだったのでしょうか。それとも女性がコワくて何もいえなかったのでしょうか。外国の最新文化に昔から弱い日本の男性の場合は「中国から来たモノだよ~。舶来上等だよ~。」というだけで、無批判に「これからの時代、美人はこうでなきゃ!」と受け入れちゃった気もしますが。
実際に日本で、この絵以前に美女をどう描いていたかはよくわかっていません。資料がないのです。外国から「美女を描く」という文化が持ち込まれ、ついでにその絵柄までもがすっかり輸入されてしまった……と考えられる一枚です。
セクシー担当、弁財天
さて、この絵で注目したいのはメイクや画法だけではありません。吉祥天という日本で大ブレイクした女神様についてもぜひ、お話ししたいのです。
「七福神」という神様の人気グループがありますが、紅一点のメンバーは現在いる弁財天ではなく、もともと吉祥天だったんですよ。そしてメンバー唯一の若いイケメン・毘沙門天と結婚してたのです。
日本では奈良時代くらいまで女神といえば吉祥天というほど、ものすごーく人気が高かった=信仰を集めていたのです。芸能の神・吉祥天と同じく芸能関係を担当し、キャラが若干被る弁財天が途中から加わってきたのですが、このふたりでは「格」が違いました。吉祥天が大女優としたら、弁財天はその付き人。
でも「センセ、お疲れさまです」と作り笑顔でいっても、「やっぱり私だって主役になりたい! あのオンナが憎い!」という芸能関係者特有の業でしょうか、弁財天はなんと吉祥天の夫・毘沙門天とデキてしまうのでした。
しかし、夫の不義に気づいた吉祥天は大人の余裕を見せます。
「わかったわ……弁財天ちゃん。そんなにキャリアがほしいなら、あげる。私、脱退する。でもうちのヒトとは別れて? お願いよ」みたいな会話があったのでしょう。弁財天はその提案をおとなしく受け入れ、ここに現メンバーによる「七福神」が成立しました。吉祥天はソロ活動を開始しますが、弁財天の大ブレイクとは反比例して、次第に人気を落としていったのです(泣)。
吉祥天は奈良・平安時代の日本の貴族階級から強く信仰されていたのですが、弁財天は武士や町人といった新興階級に信仰されたようです。しかも弁財天は、鎌倉時代には、人気を自分に惹きつけるために、セクシー担当として「脱いだ」のです! やることがちょっとエグいですね。
その証拠が、鎌倉時代に作られたとされる、「江の島弁財天(正式名・妙音弁財天)」、通称「裸弁天」。昭和時代に「修復」という名の「全身美容整形」を受け、手足が折れていたのをお直しされています。それ以上に重要だったのは、もとは禁断の箇所まで丸見えだったこと! しかも無駄毛は「つるつる」胸は「ぺったんこ」の「つるぺた」ロリータ体型ですし、色々と危ないです!
現在でもオールヌードなお姿ではありますが、うまい具合にお座布団が……。ホッ。
なお、もともと観音様は海外では女性として表現されていましたが、儒学的な意味での男尊女卑的な価値観が強い中国あたりで、「尊い仏様が女体とはけしからん」と思われたのか、おっぱいなど女性であることを示す身体的特徴がなくなったそうです。
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