横浜1963

転がり始めた石は誰にも止められない

事件の現場である港の見える丘公園の近くを訪れたソニーとショーン。
犯人が噛んだと思われるシナモン味のガムを証拠品として見つけることができたが、
その帰りに突然暴漢に襲われたのであった。

 翌日、横腹の痛みが随分と緩和されてきたので、通常通りに出勤することにした。どうやら骨までは折れていないらしい。
 ──いったい誰の差し金だったのか。
 その答えは問うまでもない。
 ──キャンベル以外にいない。
 エイキンスのことをかばい、キャンベルが顔の利く水兵たちに依頼し、ショーンを痛めつけたに違いない。その理由など水兵たちは詮索しない。白人には白人だけの社会があり、その代表の一人であるキャンベルに頼まれれば、すねに傷を持つ連中は嫌とは言えない。しかもショーンは公務中ではなかった。何をしていたのか公にできないと知っているのだ。
 これまでショーンはキャンベルを尊敬してきた。キャンベルは歴戦の雄であるにもかかわらず、ショーンに対して、差別意識の欠片さえ感じさせなかったからである。
 ──しかし一皮剝けば、こんなものか。
 軍隊において、白人は基本的に差別意識を面に出さない。戦場では持ちつ持たれつだからだ。しかし彼らだけになると、それが噴出することがある。今回の件は、それを如実に物語っていた。
 ──俺たち日系人は、いつまでもOutsidersなのだ。
 これまでの生涯で受けてきたものと同質の失望を、ショーンは味わっていた。

 この日、幸いにもキャンベルは出張で不在だった。ショーンは内勤のシフトだったので、オフィス仕事をしていると、夕方になってソニーから電話が入った。
「ソニーです。体の方は大丈夫ですか」
「そのことはいい。で、どうだった」
「今、鑑識が成分を分析していますが、そちらで売っているガムと同じようですね」
「つまり、リグレーのシナモン味で間違いないというのだな」
「その通りです」
 戦中の1944年に発売されたリグレーのシナモンガムは、1963年の現在でも、日本国内で入手するのは困難である。
 ──やはり、そうだったか。
 予断は禁物と思いつつも、あらゆる状況証拠はエイキンスを犯人と指していた。
「それで、今後のことですが──」
「これだけで、動けるはずはないだろう」
「それでは、後は何が必要ですか」
「目撃情報だ」
「日本人のものでもいいですか」
 しばし考えた末、ショーンは言った。
「こうなったら構わない。とにかく私が直接、聞いてみる」
「それで確証を得たのなら、エイキンスを尋問できるのですね」
「私の上司次第だ」
「分かりました。聞き込みを続けます」
「何か有力な情報が見つかったら、すぐに知らせてくれ」
「I understand(了解です)」と言って、ソニーは電話を切った。
 切れた受話器を持ち、ショーンはその場に佇んでいた。
 ──転がり始めた石は誰にも止められない。日本の警察に協力して白人将校を逮捕させることが、果たして「よき米国人」のすることなのか。
 ショーンは自問した。
「米国で生きたいなら、白人に逆らってはいけない」
 父庄吉の言葉が脳裏をよぎる。
 同時に、子供の頃の思い出がよみがえった。

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Kisax_w 伊東潤 @jun_ito_info | 米国と日本に在住し、はてさて最近インドに移った今、アメリカで有色人種である事を体感し、現実を少しでも経験した者として振り返ると、この小説が描こうとしてるものの重みが伝わる。うまい。 約4年前 replyretweetfavorite

yokohama_mania 転がり始めた石は誰にも止められない| #YOKOHAMA 約4年前 replyretweetfavorite