濡れたアスファルトの独特の匂いが、ワゴン車の隅々まで漂っていた。気づくと、関口が窓を半分開けて、うまそうに煙草をふかしていた。アシスタントもドサクサにまぎれて、煙草を吸っている。
「あのマンションとか、どうやったら買えるのかね?」
関口が煙草でさした先には、高層マンション群が建ち並んでいた。
「相当、悪いこととか?」ボクがそう答えると、関口はニヤつきながら窓を全開にして「おーい! みんな悪いことやってっかー」と大声をあげた。
「やめろ、金髪坊主」
中目黒駅は目が覚めたようだ。人の数が分かりやすく増えてきた。もうすぐ朝のラッシュが本格的に始まる。
「おまえとアイツだけには挨拶したかったからさ、今日は朝から悪かったな」
関口は、せわしなく働いている立ち食いそば屋の従業員の様子をながめながらそう言うと、こちらを向いた。
「真田のことなんだけどさ」
1999年から2000年に変わろうとしていたその夜だった。年越しカウントダウンの番組から発注があった映像、テロップ、小道具なども全部納めて、やっと年の瀬を迎えていた、はずだった。
2000年まであと10分。一本の電話がボク宛にかかってきた。制作会社Mのプロデューサーからだった。
「特番、おつかれです。請求書の件なんすけど、今回は4割引いてほしいなと。悪いね」
そしてその電話は、こちらの返答を待たずに一方的に切られた。
正規の値段から4割を引く。そんな異常なことが普通にこの業界ではまかり通っていた。うちみたいな制作の外部スタッフの扱いは、値引きが付き合う条件の前提だと面と向かって言われたこともあった。だから請求書は必ず直接渡しに行った。郵送しても「届いてない」と言われることもザラだったからだ。ただ、責任者に請求書を持っていっても、封筒をその場で開封し、ペンで値段を書き直されるということも日常茶飯事だった。
ここ数週間、缶詰で作業した挙句、調子のいい値引きの電話が10本を超えた頃からボクらのフラストレーションはピークに達しつつあった。関口が缶ビールを煽りながら冗談半分に「あいつら、一回ぶっ飛ばさないと俺の気がすまねえわ」と、大声で言った。酒の力もあった、若さもあった。ていうか、それしかなかった。今は本当に反省している。
この日、年越し番組で無人の制作会社Mのスタッフルームをグチャグチャにしてやろうと、酔いに任せた関口とボクは実行に移す。運転手はその場にいた、関口のアシスタントだった真田に頼んでしまった。
その制作会社Mは、住宅街のマンションの1階にあった。ボクと関口は、その会社の鍵の隠し場所も、長年の付き合いで全部知っていた。外から見える部屋の窓は真っ暗で、人がいないことは確認できた。手慣れた具合に鍵を見つけ、中に入る。