振り返れば、オーディションに挑戦することが決まる前。
大学一年の頃、落研で漫才の真似事をやることになった時から既に。
僕たちふたりの並び順、いわゆる「立ち位置」は決まっていた。
お客さんから見て左側の下手が華丸で、右側の上手が僕。
テロップ通り、画面の左から右へ華丸と大吉は並んでいる。
不思議なもので、コンビ結成26年目の今、僕は普段から相方とは逆の位置、つまり左側に立っている人との会話に違和感を覚えてしまう。
なんとなくのレベルだけれど、相手が左にいると妙に落ち着かない。どこか漠然と、しかしハッキリと気持ち悪いのだ。
一応、プロなので。
それで会話が成立しないわけではないが、それでも、長時間の立ち話は本能が避けているのだろう、いつの間にか相手とポジションを入れ替えているし、それが不可能だった場合には、自分が座ったり、相手を座らせたりして会話を続けている。
これらは意識してやっているわけではない。
左に立たれるとイヤだなあとか、僕が左に行った方がしゃべりやすいのにとか、せめて目線の高さを変えようとか、そんなことは実のところ思ってすらない。気がつけばそうなっているのだ。
自分の定位置は「上手」という絶対的なルールが僕の体には染みついていて、僕はみなさんから見て右であり、僕自身は左にいなければならないという、そんな訳の分からない法典のようなものが見えないタトゥーとして、全身に彫られているのだろう。
ある種の職業病だと思えば気も楽だが、この意味不明な決まりごとは一生背負っていくと思う。
人生を左右するとは大げさかも知れないが、なかなかに重要な案件であることには違いない、そんな漫才コンビの立ち位置。
他がどうやって決めているのかは知らないが、僕たちの場合は華丸のひとことだった。
「俺、ボール投げるのとかは左やけん」
以上である。
ちなみに、僕の返答もひとことだった。
「じゃあ、俺が上手でいいと?」
あらためて世の漫才師を見渡すと、みなさんから見てボケが左、ツッコミが右という並び順の方が数は多い。
これはおそらく、日本人の大多数が「右利き」という理由からだろう。
なぜならば、右利きのツッコミがボケの頭を右手で叩く時、みなさんから見て左側がツッコミだと、ボケを正面から叩くことになってしまう。
そうなった場合、センターマイクと被るし、ボケの表情とも被るし、自身は半身の体勢なのでお客さんからも見えづらい。
そして何より物理的に、右利きのツッコミがみなさんから見て左側に立っていると、ボケの「後頭部」を右手で瞬時に叩くことができないのだ。
僕が職業として漫才師を意識した頃。
1980年のマンザイブームから福岡吉本に入るまでの10年間がそれに該当するとして、僕が見てきた漫才のほとんどに「ツッコミがボケの後頭部を叩く」という所作が入っていた。
それは今でも変わらないと思うし、そもそも、それがツッコミとしての真っ当な仕事だと思う。
当然、僕も最初はそのつもりだった。
華丸の後頭部を叩きやすいよう、右利きの僕はみなさんから見て右側に立つことが決まったのだし、華丸も初めからそれを見越して、自分から立ち位置を申し出たのだろう。本格的に漫才師を志す者ならば誰もが気づく、セオリー通りの選択である。
しかし、僕には無理だった。
僕は華丸の後頭部を叩けなかった。
何度かチャレンジはしてみたものの。
結局、叩かぬままの26年目に突入である。
「さすが!コンビ愛が凄いからねえ、華大は」
ソウジャナイ。
僕は叩かなかったわけではない。
思い切り叩きたかったけど、叩けなかった。
叩かなかったのではなく、叩けなかったのだ。
圧倒的な、反射神経の無さ。
理由は、この一点である。
ただでさえ博多弁のツッコミに苦戦していた僕は、ツッコミに最も重要な間やテンポがまったく実践できていなかった。
それを見かねた華丸から「ココとココのボケは叩いてツッコんでくれ」とリクエストされても、弱者ならではのプレッシャーというかなんというか、相方の助け船を沈めてしまったらどうしよう、もう本当に終わりなんじゃないか、叩いてもダメだったら言い訳のしようがない、コンビ解散どころか芸人引退かなあ……などという悲壮感で頭がいっぱいになり、余計にテンパっていた。
だからいざその時が来ても、まずは用意していたハズの「叩きながら発する博多弁」に自信が持てず直前で勝手にキャンセル。
言葉を迷っている隙にツッコミの間を逸している自覚だけはあるものだから、慌てて何かをゴニョゴニョとつぶやきながら、慣れない手つきで華丸の後頭部をペチンと叩くのが精一杯という惨状だった。動きも言葉も間もすべてがチグハグで、こんなものはツッコミでもなんでもない。
ただの「ジャマ」だ。
ボケとジャマのコンビなんて、売れるわけがない。
こんな状態で、なぜ一度も解散話が出なかったのか。
なぜこんな人間が、ここまで生き残ってこれたのか。
自分の足跡を辿れば辿るほど、昔を思い出せば思い出すほど、僕は不思議でならないし、冷や汗が止まらない。
でも、だから人生って面白いんだよと、それをどこかの誰かに伝えたくて、僕はこの連載を続けている。
舞台に立てば立つほど、相方の頭を叩けば叩くほど、僕はますますツッコミがわからなくなり、袋小路の奥に奥にと入り込んだ。
どう進んでも、どの角を曲がっても、その周りには出口の気配すらない。たどり着く先は常に壁で、そこにはいつも同じ言葉が張り出されていた。
子供の頃。1980年に勃発したマンザイブームを見て育った、僕ら世代の不文律。
マンザイブーム、ひょうきん族、笑っていいとも、カトちゃんケンちゃん、夕やけニャンニャン、元気が出るテレビ、みなさんのおかげです、etc。
バブル景気を追い風に、次々と打ち上がっては大輪の花を咲かせ続ける、そんなバラエティ番組と二人三脚で大人の階段を駆け上ってきた、僕ら世代の不文律。
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