僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
図書室にて
テトラ「さて、これは……」
僕「テトラちゃん、何を考えているの? それは村木先生の《カード》?」
テトラ「あ、先輩! はい、そうです。村木先生からいただいたんですが、これ、何も書いていないんですよ」
僕「正$5$角形だ」
テトラ「正$5$角形です」
僕「何も書いてない」
テトラ「何も書いてないです」
僕「今度は正$5$角形の天使?」
テトラ「え?」
僕「いやいや、こっちの話(第139回参照)」
テトラ「正$5$角形について考えよ、ということでしょうか。この形を使って何かおもしろいことを……」
僕「まあ、もともと、村木先生が僕たちにくれる《カード》は問題になってないこともよくあるからね。 図形といえば、先日ユーリに複素平面の話をしたなあ」
テトラ「複素平面! ユーリちゃんはいつもすごいですね。何でもできちゃいます」
僕「複素数とベクトルの話をしたんだよ。$a+bi$という複素数を座標平面上の点$(a,b)$だと思えば、 複素数を使って図形を描けるよね。 《図形》を《点の集合》だと見なして」
テトラ「はい、そうですね」
僕「といっても簡単な話だけしかできなかったけどね。たとえば共役複素数(きょうやくふくそすう)の話はしなかったし」
テトラ「共役複素数……といえば《水面に映る星の影》ですね!」
僕「みなもにうつるほしのかげ?」
テトラ「はい、そうです。$$ a+bi $$ と $$ a-bi $$ のことですよね、共役複素数って」
僕「そうだね。複素数$a+bi$の共役複素数は$a-bi$だし、 複素数$a-bi$の共役複素数は$a+bi$になるね。 $a+bi$と$a-bi$は複素共役(ふくそきょうやく)であるという言い方もするよ」
- 複素数$a+bi$の共役複素数は、$a-bi$である。
- 複素数$a-bi$の共役複素数は、$a+bi$である。
- $a+bi$と$a-bi$は複素共役である。
テトラ「はい、その$2$つの複素数……つまり、$a+bi$と$a-bi$を複素平面に描くと$2$個の点になりますよね。 それがちょうど、実軸を水平線として《水面に映る星の影》みたいだなあ、 と思ったんですよ(『数学ガール/ガロア理論』参照)」
僕「ああ、確かに。実軸を対称軸として、$a+bi$と$a-bi$が対称の位置にあるからだね」
テトラ「共役複素数って、よくでてきますよね」
僕「うん。$2$次方程式の解の公式にも出てくる」
$x$に関する$2$次方程式、 $$ ax^2 + bx + c = 0 \qquad (a \neq 0) $$ の解は、 $$ x = \dfrac{-b + \sqrt{b^2 - 4ac}}{2a} $$ または、 $$ x = \dfrac{-b - \sqrt{b^2 - 4ac}}{2a} $$ である。 ここで、判別式$b^2 - 4ac \leqq 0$のとき、 $$ \left\{\begin{array}{llll} A &= \dfrac{-b}{2a} \\ B &= \dfrac{\sqrt{-(b^2 - 4ac)}}{2a} \\ \end{array}\right. $$ とおく。すると$A,B$は実数で、 $$ x = A + Bi \\ $$ または $$ x = A - Bi \\ $$ が解となる。
テトラ「なるほど、そうですね。$A + Bi$の共役複素数は$A - Bi$と……」
僕「そうそう。共役複素数はとてもおもしろくて、足しても掛けても必ず実数になるよね」
和$(a+bi) + (a-bi)$と積$(a+bi)(a-bi)$はどちらも実数になる。
テトラ「ええと? これはあたしでも確かめられそうです。計算すればいいんですよね?」
$$ \begin{align*} (a+bi) + (a-bi) &= a + bi + a - bi \\ & = 2a \\ (a+bi)(a-bi) &= aa - abi + bia - bbii \\ &= a^2 - abi + abi - b^2i^2 \\ &= a^2 - (-b^2) \\ &= a^2 + b^2 \\ \end{align*} $$僕「そうだね。和は$2a$になって、積は$a^2+b^2$になる。だから……」
テトラ「はい、だから、$2a$も$a^2+b^2$も実数なので、和も積も実数になっていることが確かめられました」
僕「そういうこと。特に積がおもしろいんだよ!」
テトラ「積というと$(a+bi)(a-bi)=a^2+b^2$ですが?」
僕「それだよ。だってほら、複素数の絶対値の二乗に等しくなってる」
$$ (a+bi)(a-bi) = a^2 + b^2 = \sqrt{a^2+b^2}^2 = \ABS{a+bi}^2 $$ $$ (a+bi)(a-bi) = a^2 + b^2 = \sqrt{a^2+b^2}^2 = \ABS{a-bi}^2 $$テトラ「ははあ……確かにそうですが」
僕「納得いかない?」
テトラ「いえいえ! そんなことはありません」
僕「ただ?」
テトラ「ただ……あの、すみません。いつもあたしは《でも、これは何なんだろう》って思ってしまうんです」
僕「そうだね。テトラちゃんがよくいう、So what? (だから何?)かな」
テトラ「それです! 先輩がいろんな式を次々に見せてくださったり、こんな関係もあるよと教えてくださいます。 それはおもしろいですし、なるほど!と思うこともよくあるんですが、 胸の中に《もやもや》が残るんです。『この式は何なんでしょうか』や 『そういう関係が導けるから何?』……という《もやもや》です」
僕「うん、よくわかるよ。テトラちゃんとはよく話してる長い付き合いだし。 よくそういうこと、あるよね」
テトラ「す、すみません。何だか素直じゃなくて」
僕「そんなことないよ。言われたことをそのまま鵜呑みにするだけが素直じゃないし。それにね、テトラちゃんは自分の《わかってない気持ち》に対して、いつも素直なんだよ」
テトラ「あっ、そういっていただけると……ありがとうございます」
僕「ところで共役複素数の話なんだけど、『積も和も実数になる』とか『積が絶対値の$2$乗になる』とかいうことは……それだけじゃ《だから何?》に答えられないかも。 僕は数式をいじるのが好きなんだけど、それはそれ自体が楽しいからだし」
テトラ「そうなんですね。あたしはそういう境地にはなれそうにないです」
僕「あっ、でもね。別に数式をいじってるだけがすべてでもないんだよ。計算しているとね、ときどき何かに《つながる》ことがあるんだ。 授業のときや、テスト中でも『あれ、前に似たような計算をしたことがあったぞ』って思うんだ。 ふだんから、自分で手を動かして計算していると、気付くことがたくさんあるんだよ」
テトラ「そうなんですね」
僕「そうだよ。そうそう、数式とも長い付き合いだと、だんだん《こういうこと、よくあるなあ》というのが集まってくるんだね、経験として。 テトラちゃんもよく言うよね。概念と《お友達になる》って。 数式を使って計算しているというのは、 友達とのおしゃべりと似ているかも。 友達と話すとき、いちいち『いまの話は何の役に立つか!どんな意味を持つか!』なんて考えないよね」
テトラ「それは……そうですね。でも、お話が終わった後になってから、 《あのときの、あの人の、あの言葉は、どういう意味を持っていたの?》 と思うことは……ええと……よくあります」
僕「うん。それは数式をいじっているときと同じだ!」
テトラ「なるほど……なるほどです、はい」
特殊な値
僕「テトラちゃんは『文字がたくさん出てくるとパニックになる』ってよく言うよね」
テトラ「あ、そうですね。《あわあわ》しちゃいます。で、でも、最近はかなり持ちこたえていますよ……」
僕「うん、それでね。数式で遊ぶときには《文字の導入による一般化》をして、一般的に考えることもあるけれど、逆もあるんだ。《変数への代入による特殊化》で楽しむことがあるよ」
テトラ「はあ……」
僕「たとえばさっきの複素数の積$(a+bi)(a-bi) = a^2 + b^2$というのはごちゃごちゃした式に見えるかもしれないけど、 ここで特殊な場合を考えてみる。僕が好きなのは単位円だね。 つまり、 $$ a^2 + b^2 = 1 $$ を満たすような状況を考える。これは、 $$ \ABS{a+bi} = 1 $$ そして、 $$ \ABS{a-bi} = 1 $$ という状況のこと」
テトラ「単位円というと半径が$1$の?」
僕「そうそう。複素平面でいうと、原点を中心に、半径を$1$にした単位円。その円周上の点が$a^2 + b^2 = 1$を満たしてる」
テトラ「これが……特殊化になるんですか」
僕「そうだよ。$a,b$がどんな実数でもかまわないとすると、$a+bi$はどんな複素数でも表せる。これは一般的な話。 でも、$a,b$は実数だけど、$a^2 + b^2 = 1$という条件を満たさなきゃいけないという制約をかける。 このとき$a+bi$という複素数にも制約がかかるわけだね」
テトラ「はあ……す、すみません。またつい心の中で『So what?』という声が……」
僕「だよね。それで、僕はこんなふうに式変形したくなる。$a^2 + b^2 = 1$のとき……」
テトラ「……」
僕「つまり、$a^2 + b^2 = 1$という条件があると、《共役複素数を求める》ことが《逆数を求める》ことと同じだとわかったことになるね! 僕はこういうのが大好きだな」
テトラ「共役複素数で逆数が求まる?」
僕「そうだね。絶対値が$1$のとき、共役複素数で逆数が求まるし、逆数で共役複素数が求まる。 《$a+bi$から$a-bi$を求める》というのは、 ふつうに考えると《$bi$という虚数部分の符号を反転させる》というやりかたになるよね」
テトラ「はい、そうですね」
僕「でも、$a^2 + b^2 = 1$という条件があれば、《$a+bi$から$a-bi$を求める》というのは、 《$a+bi$から逆数の$\frac{1}{a+bi}$を求める》というのと同じ計算になるんだよ。 だって、$a-bi = \frac{1}{a+bi}$なんだからね」
テトラ「ああ、はいはいはい」
僕「《共役複素数》と《逆数》のように、ちょっと見ただけだと関係なさそうなものが、急に関係が見えてくるっていうのは楽しくない?」
テトラ「なるほどです! 少し、おもしろさがわかってきました。あたしが《共役複素数》というと《水面に映る星の影》 だと感じるのに似ています。違う姿が見えるんですね?」
僕「ああ、そうかも! そうだ、言葉大好きテトラちゃんだったら、こういうプレゼントがあると喜ぶかな」
テトラ「プ、プレゼント? 喜びますっ!」
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)