(2007年、A級に昇級した木村一基八段)
将棋界の歳時記では、盛夏は、王位戦七番勝負の季節だ。2016年の王位戦は、羽生善治王位(45歳)に、木村一基八段(43歳)が挑んでいる。第1局は木村挑戦者、第2局は羽生王位が勝って、現在はともに1勝1敗。第3局は8月9日、10日におこなわれる。
木村は今回の王位戦を含めて、タイトル戦の番勝負に6回出場している。しかし、獲得経験はない。棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に2勝1敗、王位戦七番勝負で深浦康市王位に3連勝と、タイトルまであともう一歩と迫りながら、惜しくも長蛇を逸している。今回こそは、と応援している木村ファンも多いだろう。
ごくありふれた表現を使えば、木村は「苦労人」である。佐瀬勇次名誉九段の門下となって奨励会に入会し、実力通り、順調に進んでいたかと思われたところで、ブレーキがかかる。二段には2年。三段には6年半も留まった。その間に師匠が亡くなり、同門の兄弟子にあたる沼春雄七段の、預かり弟子となった。
今から十数年前、木村には、筆者が主宰していた将棋のサイトに寄稿をしてもらったことがある。木村は三段リーグ当時のことを、こう振り返っていた。
<沼先生はいつもリーグの最終日に食事会をしてくれた。必ずぐでんぐでんに酔っ払っていたが。今でも鮮明に覚えているのは焼き肉屋に行ったことと、昇段を逃した時のことである。片方は勘定が二十数万かかった。もうひとつの方は不覚にも私が泣いてしまった。ただじっと、何も云わず、となりで呑んでいてくれた>
(木村一基「将棋パイナップル」リレーエッセー)
実力もあり、人一倍努力をしていながら、それが結果として報われない、木村の無念。それを全部わかっていて、何も言わずに黙って付き合っている、沼の優しさ。
全力を尽くそうが何をしようが、敗者には徹底して厳しく、そして一方で、全力を尽くした敗者には、どこまでも優しいのが、将棋界の良さなのだろう、と思う。
苦労して、23歳で四段となった木村は、後はうっぷんを晴らすかのように勝ちまくり、高勝率をあげた。
<そんな沼先生と順位戦で当たることになった。当時私は6連勝。沼先生は6連敗。降級点を持っていたので負けたら降級、という一番だった。苦しい将棋を例によって粘って、何とか勝ちになる。「俺のほうが良かったよなあ」。そういって沼先生は投げた。師匠に将棋で勝つことを恩返しという。何とも複雑な恩返しだった>
(木村一基「将棋パイナップル」リレーエッセー)
将棋界では、弟子が師匠に勝つことを、「恩返し」と呼ぶ。ベテランの師匠と、上り坂の若手である弟子との対戦は、だいたい、弟子の方が勝つことが多い。勝負の世界なので、そこは、簡単には割り切れない。
「恩返しなんていらないよ」
と、師匠が嘆くこともある。
棋士となった木村は、盤上では厳しく、盤外では優しい、後輩から慕われる、よき兄貴分となった。
木村の大盤解説の面白さは名人芸と言われるが、酒の席でも同様で、どこまでも愉快だ。気遣いの人で、アマチュアや関係者には徹底して優しい。
一方で、行方尚史八段は、マイペースの天然型である。木村と行方は同じ歳で、仲がよい。写真は、今から10年前の2006年3月。B級1組順位戦の最終戦が終わった後、木村や行方と、外が白むまで飲んだ時のものである。
木村は2007年、A級に昇級し、名実ともに、一流棋士となった。八段昇段の祝賀会をホテルで開かれ、多くの人がお祝いに駆けつけた。木村の人柄を反映して、楽しい会だった。
その際に、木村-行方の席上対局がおこなわれた。木村の晴れの席である。そこで行方は、全力を尽くして粘り、木村に逆転勝ちした。空気を読まない(?)行方の、いつも通りの淡々とした表情と、木村の苦笑いとぼやきを、今でもよく覚えている。
あるとき、NHK杯の収録が終わった後、渋谷のNHK近くのうなぎ屋で、木村にごちそうになったことがあった。「うな将」という名の、将棋関係者がよく行く店だった。
木村は店主とひとしきり雑談をした後、「何にしましょう?」と尋ねられた。木村はメニューを見ないで、店主を見てにこっと笑った。そしてこう注文した。