ブスとクソが手を組んだら世界は滅びる
今まで、あまたのブスに触れてきたが、やはり回数を重ねるごとに書くことがなくなってくる。
私の文章は、読後に「何も残らない、生み出さない」ことに定評があるので、全く同じ話をしても誰も気づかないと思うが、書く方も、書き終わった瞬間に書いたことを忘れるため、同じことを書くのは不可能だ。
このコラムのテーマは、「ブス」以前に、「無」なのである。
よって、今一度、担当から寄せられた案を見直してみると、一つ燦然と輝く文字を見つけた。
そこには「クソブス」と書かれていた。
貴様、言って良いことと悪いことがあるだろう、と思った。
みんなカジュアルに「クソ」という言葉を使い過ぎて、忘れていると思うが、「クソ」とは「大便」の意である。「ブス」の頭に「大便」が載っているのだ。これは事件である。
いや、ブスでなくてもこれは一大事だ。頭にクソがついた美人だって、ある特殊性癖の人から見たら「完全生命体」かもしれないが、おそらく一般の感覚からするとモテない。
たとえ、全女性誌が「この夏、頭にウンコを載せるのが、最強メチャモテコーデ」と報じても、多分流行らない。まして「ブス」に「ウンコ」である。
ブスとクソが殺し合って、ゼロになるという相打ちを狙ったのかもしれないが、どう考えてもパワーアップしているし、ブスとクソが手を組んだら世界は滅びる。
やはり担当の血は青いし、ゲル状だな、と認識を強くしたのだが、よく考えてみれば、このクソは「肯定のクソ」なのかもしれない。
例えば、「ヤバい」という言葉だって、今ではすっかり褒め言葉であるし、「マジヤベエ、これヤベエからマジで」と、人間の語彙を滅ぼすのにも一役買っている。