
アメリカ大陸の男色
1492年、コロンブスが新大陸を発見して以来、招いてもいないのに勝手にやって来たスペインのコンキスタドーレたちが驚いたのは、この大陸の住民が男色を大っぴらに行い、てんとして恥じないことでした。
とある医師などは、
「何と恐ろしいことだ」
と日記に書き記しています。余計なお世話もいいところですね。
コンキスタドーレたちが最初に訪れた、カリブ海のインディオ達は皆男色に夢中で、特にヒスパニョーラ島のインディオ戦士は18歳に達するまで捕虜にした少年を愛人にする習慣があったとか。
現在のユカタン半島付近に住み、控えめで恥ずかしがり屋な性格が日本人に似ていたというマヤ人も男色好きで、青年が年下の若者と結婚する少年婚の制度があったといいます。
マヤの神話によると、昔、男神チンというものがいて、彼が天下った際、他の男神と交わって男色行為を流行らせたそうです。チンは他にもマランという異称を持っていたようですが、チンとかマランとか、語感がご褒美としか思えませんね。
それはさておき、有難い神様チン、マランのお導きのもと、マヤの人々は大らかに男色の楽しみを享受しました。両親は子供が年頃になると、
「そろそろ息子にも彼氏を」
と少年と結婚させる習慣だったといいます。もちろん、通常大人になれば女性と改めて結婚するのですが、それを断り男性同士で添い遂げるのも珍しくなかったとか。
また、ユカタン半島から西、現在のメキシコシティに栄えたアステカ文明も男色が盛んで、メキシコに進軍したコンキスタドーレの証言によれば、神官たちは男色オンリーで、神殿には売春する少年たちでいっぱいでした。日本の寺社とそっくりですね。
ただ、人身御供とカニバリズムで有名なアステカの男色には他の地域とは違う特色が一つあって、アステカ帝国の最後の帝王モクテスマ2世は自分の最もお気に入りの相手を食べていたそうです。アステカ帝国では、食べられるのは、神に捧げられる最高の神事。栄誉あることでしたが、現代の感覚からするとやはり怖い(汗)
また、現代のペルーにあったインカ帝国においても、男色は大っぴらに行われていて、歴史家は、
「美しい女がたくさんいるのに、多くの男たちは実にあけっぴろげに男色を行い、それをたいそう誇りにさえ思っている」(ホモセクシャルの世界史)
と記しています。
男色は結局異端なものだったのか?
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