一般的に「下心」は良くないものだと思われがちで、「そういう目で見てる」ことを、ほとんどの男女は隠す。私はこの風習がキライだ。
隠し事は良くない、と思う。だって話がこじれる。その情報があるかないかで、だいぶ話が変わってくることだらけだと思うのだけど、その最たるというか、とくに隠されるとややこしいのが下心だ。私は男の人に対して、下心を隠すのは本当にやめてほしい、と常々思っている。
私にとって下心自体は別に悪モノじゃない
「俺はそういう目で見ていないよ」と、誠実な人ですからアピールをしてお兄ちゃんポジションを気取っていたのに、いざ2人きりで夜更けを迎えた途端しっかり下心を出してくる男性、というのは、かなり沢山いる。
そういう男の人に対して私は、「え、時間帯とシチュエーション次第で、そんなにあっさり前言撤回するの?」と思うし、そんな突然のキャラチェンジ困るし、「え、あの”下心はないですよパフォーマンス”はなんだったの?」という意味でドン引きするし、二言があり過ぎる態度に対して「不誠実な奴だな」と思う。
下心そのものに関しては、とくに悪いものだとは思っていない。 むしろ私にとって、下心を抱かれること自体は嬉しいことだ。だって「性行為を誰とでもできる」という男の人は少数派で、ほとんどの男の人には「あいつとは無理!」「この人とはできない」というボーダーラインがあるわけで、性欲というのは誰にでも抱けるものでない(「男は女なら誰でもいいんでしょ」と思っている女の人がたまにいるけれど、知人男性や男友達が「俺、あの子はイケないわ〜」「まじブスしかいなくて無理だった」「ババアは無理」系の悪口を言っているのをよく聞くし、男性向けのエロ漫画などでも、おばさんやブスの性欲に男性がドン引きする描写がよくあるので、女なら誰でもいいと思っている男の人は少数派だと認識している)。
つまり、下心がある、というのは、どちらかと言えば「そういう目で見れる(ほど魅力的)」という意味だし、「美味しそうな女体」という評価だと思うから、そんなの、とても嬉しい。応えられるかどうかは相手が誰かによるとして、その寸評自体は誰からもらっても嬉しいと感じる。
なので、私にとって問題は、下心のあるなしではなく、下心の後出しだ。
「下心はないです」という設定を一度設けたのであれば、そこには責任を持ってほしい。ちゃんと貫いてほしい。たかだか終電を逃した程度で、2人きりの部屋で隣に寝転がった程度で、雰囲気次第で、あっさりと「実は下心ありまーす」「このシチュエーションでは我慢できません!」というのは、自分が言ってたことに対して無責任すぎるし、男としてカッコ悪い。