「本当に、銅メダルが僕の最高到達点だったのか」
——リオ・オリンピック開幕もいよいよですね。本日はどうぞよろしくお願いいたします。まず、『限界の正体』というタイトルの本を書くきっかけはなんだったのでしょうか?
為末 この本のテーマは、「人間にとって、本当の限界はどこにあるのか」ということです。
2001年の世界陸上、エドモントン大会の400メートルハードルで、僕ははじめて銅メダルを獲りました。目標は「世界でいちばん」でしたが、この日の僕に、金メダルを獲れなかった悔しさはありませんでした。
僕にあったのは、
「最高の結果が出たな。人生で最高のメダルを獲っちゃったな」
「銅メダルが精いっぱいだったな」
という潔さでした。
客観的に判断して、当時の僕の実力は、世界で4、5番目くらいだったと思います。
——「銅メダル」は、実力以上の結果が出せたということですね。
為末 はい、当時はそう信じて疑いませんでした。
でも今、引退してから、思うときがあります。
「本当に、銅メダルが僕の最高到達点だったのだろうか」と。
僕が金メダルを獲れなかったのは、「自分の最高到達点は銅メダルだ」と勝手に決めてしまっていたからかもしれない。
——本書のテーマでもある「心のブレーキ」があったということですか?
為末 行動経済学の第一人者で、『予想どおりに不合理』の著者、ダン・アリエリー教授がおもしろい実験をしています。
講義の聴衆に対し、こんな質問をします。
「あなたたちの社会保障番号の下2桁と同じ値段で、このワインを買いますか?」
その質問のあとで、あらためて「そのワインに最大でいくら払えるか?」と質問したところ、社会保障番号の「下2桁の数字が大きい人ほど、高い値段で買おうとする」傾向が見られたそうです。社会保障番号の下2桁が、意識に残ったことで、購入金額にも影響を及ぼしたのです。
僕たちは、ある情報を受け取ると、受け取った情報を基準点(アンカー)として物事を判断するようになります。数字だけでなく、社会の常識や世間の声などがアンカーになって、能力を制限することがあります。
僕が銅メダルで終わったのも、
「日本人の陸上選手に、金メダルは獲れない。銅メダルでも立派」
という論調が、無意識レベルで僕のアンカーになっていたからかもしれません。
日本人が10秒を切れない本当の理由
——社会の常識や世間の声が「限界の正体」かもしれないということでしょうか。
為末 それだけではないと思います。ただ一つ言えるのは、限界とは「人間のつくり出した思い込みである」ということです。さらにいうと「人は、自分でつくり出した思い込みの檻に、自ら入ってしまっている」。
たとえば、100メートルの日本記録を調べてみると、10秒00からはじまり、10 秒08まで、0・01秒おきに記録が並んでいますが、いまだに「10秒の壁」を超えた選手はあらわれていません。
なぜ、日本人の短距離選手は、9秒台で走ることができないのか。
その理由は、10秒を目標にしているからです。
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