横浜1963

初めから、こうなることは分かっていたのだ

刑事部の有馬から以前取り調べたカール・S・ウォーケン二等水兵の事件の手伝いを頼まれたソニー。
ウォーケンは収監される前に、横須賀基地に所属する巡回説教師に会いたいという。
彼の口から「ロドニー・エイキンス中佐」という名前が出た。

十一

「はじめまして。ソニー沢田です」
「ロドニー・エイキンスです」
 エイキンスは、ほかの米国人将校のように、横柄な態度で「コマンダー(中佐)・ロドニー・エイキンス」とは名乗らなかった。しかもその表情には誠意が溢れており、きよの一つひとつにも実直そうな人柄が表れていた。むろん日本人を見下すどころか、ソニーのような訳の分からない者をいぶかしむような素振りもない。
 ──予断は禁物だ。
 だがそこに、この男の偽善が隠されているような気もする。
「さあ、こちらに」
 七月二十六日、県警本部の正面口前でエイキンスを出迎えたソニーは、丁重に中に招き入れた。
 エイキンスが米軍将校の制服姿なので、廊下で擦れ違う警察官たちは、脇に身を寄せて道を譲っていく。横浜ではよく見かける光景だが、県警の中までそうだと、少し情けなくなる。しかしエイキンスにはおごったところなど少しもなく、笑顔を振りまきながら署員に目礼していく。
「ソニーと呼んでいいかな」
「もちろんです」
「私のことはロドニーで結構」
「は、はい」
 その温かみのある声音に接していると、なぜか安堵感を覚える。
 ソニーはあいまみえることのなかった父とおぼしき人の面影を、エイキンスの中に見ていた。
 ──この人に人が殺せるだろうか。
 にこやかに前を向いて歩くその姿には、後ろめたいことなど微塵もないという雰囲気が漂っている。
「こちらです」
 ソニーが接見室のドアを開けると、中で待っていたウォーケンが立ち上がり、直立不動の姿勢を取った。二人の間は、アクリル板で隔てられている。
「カール、元気そうで何よりだ」
「Yes, sir!」
「それでは、後はお任せします」と言ってソニーが外に出ると、エイキンスがドアに手を掛け、「心配無用だ」と答えた。
 その言葉には、エイキンスの強い自信が感じられた。
 面会時間は三十分もあるので、ソニーは、いったん自分のデスクに戻ることにした。
 外事課では、森田が販売先リストを見ながら電話をかけていた。むろん熱意はない。しかも、この捜査が七月末で打ち切られるのを知っているのか、ソニーがいない時は何もしていないと、重藤敏子が教えてくれた。
 この二日間、ソニーも電話をかけてみたが、手掛かりらしきものは摑めなかった。美香子が殺されたことは、すでに取引先にも知れわたっているらしく、皆、どのように殺されたのか逆に聞いてくる始末である。
 ──森田が、うんざりするのも分かるな。
 そうは思いつつも、エイキンスの線だけに賭けるわけにもいかない。
 ──あと六日で、何か証拠を摑まなければ。
 何らかの手掛かりを見つけられない限り、この捜査は打ち切られる。それを思うと、焦りが先に立つ。
 腕に巻いたセイコースカイライナーに目をやると、接見の終了時間が迫っていた。
 自分の席にいても落ち着かないため、ソニーは接見室のドアの前で、エイキンスが出てくるのを待つことにした。
 階段を駆け下り、接見室の前に立つと、中でパイプ椅子を引く音がした。続いてドアが開き、エイキンスが姿を現した。
「ありがとうございました」
 ソニーが深く頭を下げると、エイキンスは「こちらこそ、感謝しています」と日本語で応じた。
 ソニーが正面口までエイキンスを送ると申し出ると、エイキンスは「ありがとう」と言って歩き出した。
「日本語が、お上手なようですね」
「はい。勉強しています」
 エイキンスは何の警戒心も抱いていないのか、日本語で答えた。
「日本の教会でも、お話をされていると聞きました」
 エイキンスの舌を滑らかにするため、あえて英語で尋ねると、エイキンスも英語で応じた。
「まだ始めたばかりです。キリスト教に関心がおありですか」
「はい」
 ソニーは宗教に興味も関心もない。神仏が実在するなら、母の人生は、もう少しましなものになったはずだからだ。
「よろしければ、今度の日曜に横浜海岸教会にいらして下さい」
「ということは、ミスター・エイキンスはプロテスタントですか」
「ほほう、詳しいですね」
 日本人には、キリスト教内の宗派などに頓着する者はいない。
「仕事柄、いろいろ学ばねばならないこともありますので」
「そうでしたか」
 県警本部の正面口に着くと、エイキンスは笑みを浮かべて握手を求めてきた。
 ソニーが慌てて手を出すと、エイキンスは力強く握り返してきた。それは挑戦のようにも受け取れる。
「ミスター・エイキンス、今日は、本当にありがとうございました」
「とんでもない。これも仕事です」
 エイキンスは最後まで人格者然としていた。その後ろ姿を見送りながら、ソニーは、エイキンスが何らかの形で事件にかかわっている気がした。

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